平凡な私が、御曹司の“囲い妻”になった日〜奪われたキスと嘘だらけの関係〜
 朝、目を覚ましたとき、部屋の中はすでに優雅な香りで満たされていた。

 「お目覚めですか、白石様」

 カーテンを開けに来たメイドらしき女性が、恭しく一礼する。

 目の前に広がるのは、信じられないほどゴージャスな空間だった。壁一面が窓ガラスになっていて、東京の街を一望できる。白とゴールドを基調としたインテリア、天蓋つきのベッド、ブランドの家具たち。昨夜は混乱しすぎて気づかなかったが、この部屋は完全に別世界だった。

 「……ここが、私の部屋?」

 「はい。士道様のご意向で、最上階のゲストルームを“囲い専用”に改装しております」

 囲い専用。改めて聞くと、じわりと現実が胸にのしかかる。

 「朝食のご準備が整っております。お召し替えはクローゼットにて。スタイリストが常駐しておりますので、外出のご予定があればお申しつけください」

 「……あの、今日は大学に……」

 「士道様から“しばらく休学の手続きを取るように”とのご指示がありました」

 「えっ……!?」

 思わず声を上げた。

 休学?そんなこと、一言も聞いていない。

 抗議の言葉を探していると、ドアの向こうから足音が聞こえ、空気が変わった。

 

 「……目、覚めたか」

 

 その声だけで、背筋が伸びる。

 士道が現れた瞬間、部屋の温度が数度下がったような感覚に襲われる。
 完璧なスーツ姿、隙のない眼差し。彼は、昨夜の続きのように真乃を見つめていた。

 「少しは現実を理解したか?」

 「どうして……勝手に休学なんて……っ」

 「囲われるってのは、そういうことだ。お前の時間も、予定も、生活も。すべて俺の管理下に入る。それが“契約”だろう?」

 「でも……!」

 「金をもらっておいて、“自由に生きたい”は通用しない」

 言葉は冷たいのに、歩み寄ってきた彼の指先は、やけに優しく頬に触れた。

 「勘違いするな。これは所有だ。愛情じゃない」

 そう言いながら、士道の唇がまた真乃に触れた。

 

 ふわりと香水のような甘い熱が、唇から胸元へと流れ込んでくる。

 軽く触れるだけのキス。けれど、心が引きずられる。

 (どうして……この人のキスは、こんなに……)

 

 「今日の予定だが、午後から食事会がある。家族紹介だ」

 「か、家族……?」

 「俺の“囲い妻”として、お前を正式に連れていく。恥をかかせるなよ」

 

 そのとき、真乃はまだ知らなかった。

 その食事会の席で、士道には“婚約者”が存在していること。
 そしてその女が、想像を絶する執念を持って、真乃に牙を剥いてくることを──
< 2 / 31 >

この作品をシェア

pagetop