大正愛妻ロマンティカ ~坊ちゃん旦那とあやかし女中嫁~
5 告白と裏切り
暁臣の告白を受けた小春は、夢のような心地で女中部屋に戻った。
想いに応えられない切なさで寝付くのが遅くなり、翌朝はカネに叩き起こされた。
「いつまで寝てるんだい! 大変だよ!!」
「わああ、すみません。わたしったら寝坊して」
「そうじゃない! 暁臣坊ちゃんがあんたを嫁にするって宣言されたんだ」
「どういうことですか」
飛び起きた小春は、寝間着のまま座敷におもむいた。
黒い洋装の暁臣が、同じく身支度をととのえた主人と奥方に向き合っていた。
「ぼ、坊ちゃん……」
寝ぐせ頭で駆けつけた小春に、暁臣はうっとりするような笑顔を向けた。
「おはよう、小春。父上と母上に結婚することを報告したよ」
「したよ、ではありません。わたしが坊ちゃんの妻なんて畏れ多いです。旦那様、奥様、坊ちゃんの話は信じないでください」
「小春は恥ずかしがっているんです。結婚については幼い頃に約束しました」
暁臣と小春、それぞれの言い分を聞かされた二人は困り顔だ。
「親としては暁臣が決めた相手と結ばれてほしいが……。小春が嫌がっているうちはなあ」
「小春が家にいてくれると嬉しいけれど、本人が乗り気でないうちはねえ」
「わかりました。もう一度、口説き落とします」
きっぱりした宣言に、小春の信念ががらがらと突き崩されていく。
(昨晩みたいに坊ちゃんに言い寄られたら心臓がもたないわ)
小春のかわいい坊ちゃんは、とびきり魅力的な青年に成長してしまった。
会えないあいだも一途に想われていたと発覚した今、暁臣に迫られたら受け入れてしまう未来が見える。
小春のなかではまだ、坊ちゃんは坊ちゃんなのに。
朝餉が運ばれてきて話は中断した。
女中たちにうながされて身支度に行く小春を、暁臣は名残惜しそうに見送った。
「どうしよう……」
気もそぞろで洗い物をする小春のもとへ、さちが早足で近づいてきた。
「小春ちゃん、坊ちゃんに求婚されたって本当なの?」
「うん。わたしは、坊ちゃんには他にふさわしい人がいるからと断ったの。だけど、坊ちゃんは口説き落とすって。どうしよう、おさちちゃん……」
震える小春をまえに考えたさちは「逃げましょう」と提案した。
「とりあえず倉橋の屋敷から離れて、落ち着いて考えたらいいわ。女学生用の下宿をやっている知り合いがいるから、しばらくそっちに身を寄せなさいよ」
「ありがとう、おさちちゃん!」
わずかな手荷物を風呂敷で包み、さちに連れられて裏口を通って表に出た。
帝都の北東、ちょうど鬼門の位置にある倉橋家からずいぶん歩いて、たどり着いたのは深川の辺りだった。
さちは、裏長屋の入り口に立った顔に刀傷のある男に近づいていく。
明らかに下宿をやっているような風貌ではない。
小春は違和感を覚えたが、さちの親切に頼っている身なので黙った。
「この子をあずけたいんだけど、いくら?」
男は小春の顔と体つきを見て、さちの手に金銭を握らせた。さすがにおかしい。
「下宿に泊めてもらうんですから、お金を支払うのはこちらではないですか?」
「下宿だあ?」
男は珍妙な声を出したあとで、小春が勘違いしていることに気づいて嗤った。
「ここは女郎屋だぜ。おめえは売られたんだよ」
「売られた? どういうことなの。おさちちゃん!」
小春は荷物を放り出して怒鳴った。さちは無表情になってケッと毒づく。
「あんたみたいな垢ぬけないのが坊ちゃんに求婚されるなんて許せない。あの人には、あたしみたいな綺麗な方が似合うわ」
「おさちちゃん、まさか坊ちゃんを誘惑するつもりなの?」
日本橋にある大店の息子との縁談があるのに。
絶句する小春を、さちは下品に笑い飛ばした。
「それの何がいけないのよ。倉橋でいい暮らしをするのはあたしよ」
許せない。小春のなかで何かが弾けた。
体の内側がふくらむ感覚がして――実際、小春の体は大きくなっていった。
巨大な人骨、がしゃどくろの姿になって。
「きゃああああああああっ!」
通りにさちの悲鳴が響き渡った。
想いに応えられない切なさで寝付くのが遅くなり、翌朝はカネに叩き起こされた。
「いつまで寝てるんだい! 大変だよ!!」
「わああ、すみません。わたしったら寝坊して」
「そうじゃない! 暁臣坊ちゃんがあんたを嫁にするって宣言されたんだ」
「どういうことですか」
飛び起きた小春は、寝間着のまま座敷におもむいた。
黒い洋装の暁臣が、同じく身支度をととのえた主人と奥方に向き合っていた。
「ぼ、坊ちゃん……」
寝ぐせ頭で駆けつけた小春に、暁臣はうっとりするような笑顔を向けた。
「おはよう、小春。父上と母上に結婚することを報告したよ」
「したよ、ではありません。わたしが坊ちゃんの妻なんて畏れ多いです。旦那様、奥様、坊ちゃんの話は信じないでください」
「小春は恥ずかしがっているんです。結婚については幼い頃に約束しました」
暁臣と小春、それぞれの言い分を聞かされた二人は困り顔だ。
「親としては暁臣が決めた相手と結ばれてほしいが……。小春が嫌がっているうちはなあ」
「小春が家にいてくれると嬉しいけれど、本人が乗り気でないうちはねえ」
「わかりました。もう一度、口説き落とします」
きっぱりした宣言に、小春の信念ががらがらと突き崩されていく。
(昨晩みたいに坊ちゃんに言い寄られたら心臓がもたないわ)
小春のかわいい坊ちゃんは、とびきり魅力的な青年に成長してしまった。
会えないあいだも一途に想われていたと発覚した今、暁臣に迫られたら受け入れてしまう未来が見える。
小春のなかではまだ、坊ちゃんは坊ちゃんなのに。
朝餉が運ばれてきて話は中断した。
女中たちにうながされて身支度に行く小春を、暁臣は名残惜しそうに見送った。
「どうしよう……」
気もそぞろで洗い物をする小春のもとへ、さちが早足で近づいてきた。
「小春ちゃん、坊ちゃんに求婚されたって本当なの?」
「うん。わたしは、坊ちゃんには他にふさわしい人がいるからと断ったの。だけど、坊ちゃんは口説き落とすって。どうしよう、おさちちゃん……」
震える小春をまえに考えたさちは「逃げましょう」と提案した。
「とりあえず倉橋の屋敷から離れて、落ち着いて考えたらいいわ。女学生用の下宿をやっている知り合いがいるから、しばらくそっちに身を寄せなさいよ」
「ありがとう、おさちちゃん!」
わずかな手荷物を風呂敷で包み、さちに連れられて裏口を通って表に出た。
帝都の北東、ちょうど鬼門の位置にある倉橋家からずいぶん歩いて、たどり着いたのは深川の辺りだった。
さちは、裏長屋の入り口に立った顔に刀傷のある男に近づいていく。
明らかに下宿をやっているような風貌ではない。
小春は違和感を覚えたが、さちの親切に頼っている身なので黙った。
「この子をあずけたいんだけど、いくら?」
男は小春の顔と体つきを見て、さちの手に金銭を握らせた。さすがにおかしい。
「下宿に泊めてもらうんですから、お金を支払うのはこちらではないですか?」
「下宿だあ?」
男は珍妙な声を出したあとで、小春が勘違いしていることに気づいて嗤った。
「ここは女郎屋だぜ。おめえは売られたんだよ」
「売られた? どういうことなの。おさちちゃん!」
小春は荷物を放り出して怒鳴った。さちは無表情になってケッと毒づく。
「あんたみたいな垢ぬけないのが坊ちゃんに求婚されるなんて許せない。あの人には、あたしみたいな綺麗な方が似合うわ」
「おさちちゃん、まさか坊ちゃんを誘惑するつもりなの?」
日本橋にある大店の息子との縁談があるのに。
絶句する小春を、さちは下品に笑い飛ばした。
「それの何がいけないのよ。倉橋でいい暮らしをするのはあたしよ」
許せない。小春のなかで何かが弾けた。
体の内側がふくらむ感覚がして――実際、小春の体は大きくなっていった。
巨大な人骨、がしゃどくろの姿になって。
「きゃああああああああっ!」
通りにさちの悲鳴が響き渡った。