策士の優男はどうしても湯田中さんを落としたい
ゼミの飲み会当日。
店に入った瞬間、祐はわかっていた。
女子たちの目線が一斉に自分を追っている。
昔から慣れた視線だ。けれど、今日は少しだけ別の意味で来ていた。

「おー!祐、久しぶり!!」

ゼミの男子たちが次々にハイタッチしてくる。
その奥、女子たちの輪の中に──

「湯田中さーん!」

誰かが呼んだ声で、祐は振り向く。
そこに立っていたのは、黒髪を艶やかに巻いた、涼しげな目元の女性。

白いノースリーブがよく似合う。

湯田中楓。

確かに、美人だ。

仕草も柔らかい。
けれど──

(先輩じゃない)

骨格も違う。声のトーンも違う。
そもそも、あの先輩の名前ではない。

飲み会も中盤。

席はすっかりバラバラになり、男女入り混じって、笑い声が飛び交っている。

祐はジョッキを片手に、人の波をすり抜けて、さりげなく楓の横に腰を下ろした。

「久しぶり」

思ってもいない言葉を、あえて自然に。
口角だけを少し上げて。

「ほんとだね!」

楓は、まるで何も疑う様子もなく、屈託のない笑顔を見せた。
その笑顔に、祐の心はまったく動かない。
綺麗だとは思う。けれど、違う。

(この人じゃない。やっぱり──)

でも、確認はしたい。

「ゼミの頃、あんまり話した記憶ないんだけど…ごめん、俺、覚えてないタイプで」

「ううん、私たち、ゼミの時、全然話してないと思うよ」

「“湯田中”ってさ、珍しい名前だよね。親戚、多いの?」

さりげなく、切り込んでいく。
飲み会らしいテンションのままで。

「うーん…多くはないかな。ちょっと変わってるでしょ」

祐は笑いながら、心の中で一つチェックをつけた。

(先輩の“湯田中”は…やっぱり源氏名か)

楓の口ぶりからすれば、「湯田中」が本名であることに間違いはない。
それに、あのキャバ嬢の冷ややかで強い目を思い出せば、目の前の楓とは完全に別人だ。

「湯田中って、他に知り合いでいる?」

祐は、わざと何気ない声色で続ける。

「うーん…いないかも。親戚以外では聞いたことないなあ」

楓は首をかしげながら、グラスの氷をストローでつつく。
その笑顔は相変わらず柔らかい。
けれど──

「まあ、うち、兄弟多いけどね」

「──え?」

祐の笑顔が、わずかに固まった。

「え?何人兄弟?」

「うちはね、四人きょうだいなんだ。私が二番目で、一番上に姉がいて、その下に私で…」

祐の目が鋭く細まる。

「その下?」

「うん。私の下に双子の弟たちがいるの。すっごいにぎやかで大変なんだよ~」

祐は一瞬だけ、視線を落として考える。

「へぇ。じゃあ、一番上のお姉さんって、どんな人?」

「すっごいしっかり者。昔から優等生で、家族のこといろいろ支えてくれてた。ちょっと怖いくらい真面目で厳しいけど」

楓はくすりと笑う。

「でもホントは家族思いなんだよ。たぶん、自分より家族優先するタイプ。損な性格だよね」

祐は、無意識に息を呑んだ。
頭の中で、あの夜の背中が鮮やかによみがえる。
きらびやかなドレス。冷たい瞳。
なのに、時折見せる寂しげな横顔。

「──名前、なんていうの?」

祐は、声を限りなく穏やかに保ったまま問う。

「え?瑠璃だよ?」

楓が悪気なく答える。
笑顔のままで。

「湯田中瑠璃。一番上の姉」

その瞬間、祐の中で線がピタリと繋がった。

(…やっぱり、先輩か)

冷たくも優しい目。
何もなかった顔をして、会社で隣に立っていた女。
湯田中瑠璃──

祐の唇が、ゆっくりと持ち上がる。

「──そっか。瑠璃、ね」

低くつぶやいた声は、かすかに笑っていた。
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