神託は、二度名を告げる
2 追憶─ある日の図書室
──回想 王立学苑 放課後の図書室
西日に染まったステンドグラスが、机の上に淡く色を落としている。
私は向かいに座るユリウスと教科書を開いていた。
静かすぎて、時計の針の音が聞こえるほど。
正直、勉強しようと開いた教科書の中身はまったく頭に入ってこない。
ユリウスの銀髪が夕日に染まっているのがきれいでそっと盗み見る。盗み見ているつもりが目が合ってしまい、誤魔化すように私は言った。
「今日はレオニスはいないの?」
ユリウスは肩をすくめた。
「あぁ、セラに言ってないのか。帝国の行事で今日明日は帝国に帰ってる」
「そう……なんだ。レオニスがいないと静かね」
帝国皇太子殿下がいる時の方が気が楽だ、なんてどうかしていると自分でも思う。けど、ユリウスと二人というのはどうにもこうにも落ち着かない。
もう帰ろうかなと思うけど、いつも放課後はここで勉強しているのに不自然かなと思ったり。
私が思い巡らせていると、ユリウスがペンを回しながら言った。
「お喋りがいないと静かだな」
「ほんとね。私、昔は皇太子殿下に憧れていたから、あんなにお喋りだし陽気過ぎだしで幻滅したんだよね」
同い年で大人っぽいミステリアスなレオニスに同世代の女子で憧れない人はいないと思う。
すると、ユリウスの声のトーンが下がった。
「は?」
親友を馬鹿にされて気を悪くしたかな、とちょっと焦る。
「あ、幻滅したは冗談よ?」
「いつの話し?」
怖い怖い、目がギンって感じで私を見据えている。
あぁそうか、これは…
話題を失敗したなと思いながら努めて軽く答える。
「小学部の頃よ?12歳の時かな、皇室パーティーのパートナーに指名されたでしょ、初めてお会いしたから高貴なご身分だし素敵に見えたのよ」
「君、俺にはギャンギャンに文句言ってた頃だな。あー思い出した、あの胸糞悪いパーティー」
「素敵なパーティーだったわ、あなたは王族だからよくあるかもしれないけど、私は皇室パーティーに招かれるなんて初めてだったから」
ユリウスと私の間に一瞬の沈黙。
その沈黙をユリウスがすぐに破った。
「あれで国民の評判は冷静沈着とか月光のようとか言われてんだから」
「いいじゃない、立派だわ、そう思われるように振舞うって。我が国の王太子殿下も国民は温厚篤実だって厚い信頼を寄せてますからね」
「そう?なら頑張ってる甲斐があるかな」
ユリウスが相好を崩したから私もふっと笑った。二人だけだというだけで居心地の悪い上に、不穏な空気が流れた気がしたけど、場がやっと和んだ気がした。
と思ったのに、
「まぁ俺としては、目の前の人がどう思ってくれてるかの方が興味あるけど」
と言い出したから、やっぱり帰れば良かったと思った。
ユリウスのこういう所がこの頃苦手だ。
さっきの嫉妬を隠さないところも。
ユリウスと二人が居心地悪いのは、私が本当は気がついているのに気がついていないふりをしているからだ。
ユリウスの気持ちに。
本人はペンを走らせて何でもないみたいに勉強しているから、私も何でもないみたいに答えた。
「そうね、だれよりも精励恪勤だと思うわ。あなたは高貴な身分に甘んじずに本当に努力しているもの。学校の成績もトップだし、それで王太子としての勤めも欠かさない。冗談なしで、素晴らしい人だと思ってる」
ユリウスがふいっと横を向いて頭をかいた。
「……聞かなきゃよかった」
用もなく書架を眺めながら歩いていると、自然と手に取ったのは革装丁の絵本――『創世記』。
子どものころ、誰もが読む絵本だった。
「創世記、読んだことある?」
振り返ると、いつの間にかすぐ後ろにユリウスがいた。
「当たり前、この絵本を読んだことない子どもはいないわ。勇者ライアが魔物を倒して女神ルミナと結ばれて帝国ができたんでしょう?で、ライアと一緒に戦った四体の神獣が四つの王国の最初の王になった。つまりあなたのご先祖ってわけね?」
「まぁ、だいたい合ってるけど、端折り過ぎ」
そう笑いながらユリウスは「ちょっと座ってて」と書架の奥に消え、やがて分厚い本を抱えて戻ってきた。
しかも、なぜか私の隣に腰を下ろす。距離が近い。近すぎる。
「これが本当の創世記、王族や皇族が読むやつ」
「一般人は読んじゃだめなやつ?」
「いや、王族や皇族は子どもの時から読まされるって意味」
彼がページを開くと、びっしりと帝国語の文字が並んでいた。
「帝国語、ハードル高…」
「大丈夫。分からなかったら手伝うから。帝国語B評価でも読めるはず」
「ちょっと?」
「さあ読んで読んで」
セラは仕方なく声に出して読み始めた。
世界が闇に包まれていた時代。
ただ人を守りたいと願いはびこる魔物を討つ旅に出た青年ライア。女神ルミナがその助けにと四体の神獣を遣わした――氷狼ノル、春鹿フレア、火鳥ザン、大熊トゥア。
勇者ライアは大地から魔を一掃し、女神はライアに祝福を与えてこの大地の最初の王とした。
重厚な文体と美しい挿絵で絵本よりずっと生々しく物語が迫ってくる。
セラはチラりとユリウスを見た。
「ん?大丈夫、よく読めてる」
「これをあなたたちは小さい頃に読むなんてすごいわね」
「これで帝国語の基礎を覚えるからね。ここまでが絵本にもなっている部分」
セラは続きの部分を再び声に出して読み出した。
しかしそうした女神ルミナの行動の数々に父なる神は怒り、ルミナは力を奪われ地上に堕とされた。
エルフに保護され人の足では踏み入ることのできない幻惑の森に身を隠した女神ルミナ。
四体の神獣はライアを突き動かしルミナを探す旅に出た。
ページをめくると森の奥深いところの泉で出会う二人。人であるライアが森に踏み入ることができたのは神獣の加護によるものか、あるいはルミナを求める愛の力だったのか。
「私はもう、あなたの力になったかつての女神ではないのです」
震え泣くルミナをライアはしっかりと抱きしめる絵はとても美しかった。
「力がなかろうと構いません、私はあなたをずっと求めていました。あなたを心から愛しています」
二人はその場で結ばれ、その時ルミナに命が宿った。
現在の帝国の皇帝の祖となる命だった。
ライアは周辺民族をまとめ上げ帝国を築いた。
そしてルミナは微かに残る力の全てで神獣を人の姿に変え、荒れ果てた大陸を豊かにするよう王国を築いて王とした。
しかし再び神の怒りに触れる。
神の娘であるルミナの体に人の精を注ぎ込んだライアに対し、また神の血から作られた神獣を人に変えたルミナに対し。
こうした神の怒りを鎮めるために神と人は盟約を結ぶことになった。
女神と神獣の末裔は、神に許された者とだけ結ばれると。
ここまで読んでユリウスが口を開いた。
「だから、王族や皇族は神託で結婚相手が決まるんだ」
天上の神と、地上で跪く皇帝と四人の王の絵を見つめるユリウスの横顔から笑顔は消えていた。
ユリウスはこの物語を私に読ませた理由がわかった気がした。王位継承者が神託で花嫁が決まることを知らない民はいない。それが神との盟約だからだと言いたかったのだろう。
彼が私に友達ではない感情を抱いていることは気がついている。
それでも私はしっかり線を引いてきた。
「あなたはきっと、神託の花嫁を愛して幸せになれるわ」
そう告げると、ユリウスは何も言わなかった。
その沈黙が、胸に刺さる。
「さて、本を戻してくるよ」
そう言うと彼は本を抱え、席を立ってしばらく戻ってこなかった。
西日に染まったステンドグラスが、机の上に淡く色を落としている。
私は向かいに座るユリウスと教科書を開いていた。
静かすぎて、時計の針の音が聞こえるほど。
正直、勉強しようと開いた教科書の中身はまったく頭に入ってこない。
ユリウスの銀髪が夕日に染まっているのがきれいでそっと盗み見る。盗み見ているつもりが目が合ってしまい、誤魔化すように私は言った。
「今日はレオニスはいないの?」
ユリウスは肩をすくめた。
「あぁ、セラに言ってないのか。帝国の行事で今日明日は帝国に帰ってる」
「そう……なんだ。レオニスがいないと静かね」
帝国皇太子殿下がいる時の方が気が楽だ、なんてどうかしていると自分でも思う。けど、ユリウスと二人というのはどうにもこうにも落ち着かない。
もう帰ろうかなと思うけど、いつも放課後はここで勉強しているのに不自然かなと思ったり。
私が思い巡らせていると、ユリウスがペンを回しながら言った。
「お喋りがいないと静かだな」
「ほんとね。私、昔は皇太子殿下に憧れていたから、あんなにお喋りだし陽気過ぎだしで幻滅したんだよね」
同い年で大人っぽいミステリアスなレオニスに同世代の女子で憧れない人はいないと思う。
すると、ユリウスの声のトーンが下がった。
「は?」
親友を馬鹿にされて気を悪くしたかな、とちょっと焦る。
「あ、幻滅したは冗談よ?」
「いつの話し?」
怖い怖い、目がギンって感じで私を見据えている。
あぁそうか、これは…
話題を失敗したなと思いながら努めて軽く答える。
「小学部の頃よ?12歳の時かな、皇室パーティーのパートナーに指名されたでしょ、初めてお会いしたから高貴なご身分だし素敵に見えたのよ」
「君、俺にはギャンギャンに文句言ってた頃だな。あー思い出した、あの胸糞悪いパーティー」
「素敵なパーティーだったわ、あなたは王族だからよくあるかもしれないけど、私は皇室パーティーに招かれるなんて初めてだったから」
ユリウスと私の間に一瞬の沈黙。
その沈黙をユリウスがすぐに破った。
「あれで国民の評判は冷静沈着とか月光のようとか言われてんだから」
「いいじゃない、立派だわ、そう思われるように振舞うって。我が国の王太子殿下も国民は温厚篤実だって厚い信頼を寄せてますからね」
「そう?なら頑張ってる甲斐があるかな」
ユリウスが相好を崩したから私もふっと笑った。二人だけだというだけで居心地の悪い上に、不穏な空気が流れた気がしたけど、場がやっと和んだ気がした。
と思ったのに、
「まぁ俺としては、目の前の人がどう思ってくれてるかの方が興味あるけど」
と言い出したから、やっぱり帰れば良かったと思った。
ユリウスのこういう所がこの頃苦手だ。
さっきの嫉妬を隠さないところも。
ユリウスと二人が居心地悪いのは、私が本当は気がついているのに気がついていないふりをしているからだ。
ユリウスの気持ちに。
本人はペンを走らせて何でもないみたいに勉強しているから、私も何でもないみたいに答えた。
「そうね、だれよりも精励恪勤だと思うわ。あなたは高貴な身分に甘んじずに本当に努力しているもの。学校の成績もトップだし、それで王太子としての勤めも欠かさない。冗談なしで、素晴らしい人だと思ってる」
ユリウスがふいっと横を向いて頭をかいた。
「……聞かなきゃよかった」
用もなく書架を眺めながら歩いていると、自然と手に取ったのは革装丁の絵本――『創世記』。
子どものころ、誰もが読む絵本だった。
「創世記、読んだことある?」
振り返ると、いつの間にかすぐ後ろにユリウスがいた。
「当たり前、この絵本を読んだことない子どもはいないわ。勇者ライアが魔物を倒して女神ルミナと結ばれて帝国ができたんでしょう?で、ライアと一緒に戦った四体の神獣が四つの王国の最初の王になった。つまりあなたのご先祖ってわけね?」
「まぁ、だいたい合ってるけど、端折り過ぎ」
そう笑いながらユリウスは「ちょっと座ってて」と書架の奥に消え、やがて分厚い本を抱えて戻ってきた。
しかも、なぜか私の隣に腰を下ろす。距離が近い。近すぎる。
「これが本当の創世記、王族や皇族が読むやつ」
「一般人は読んじゃだめなやつ?」
「いや、王族や皇族は子どもの時から読まされるって意味」
彼がページを開くと、びっしりと帝国語の文字が並んでいた。
「帝国語、ハードル高…」
「大丈夫。分からなかったら手伝うから。帝国語B評価でも読めるはず」
「ちょっと?」
「さあ読んで読んで」
セラは仕方なく声に出して読み始めた。
世界が闇に包まれていた時代。
ただ人を守りたいと願いはびこる魔物を討つ旅に出た青年ライア。女神ルミナがその助けにと四体の神獣を遣わした――氷狼ノル、春鹿フレア、火鳥ザン、大熊トゥア。
勇者ライアは大地から魔を一掃し、女神はライアに祝福を与えてこの大地の最初の王とした。
重厚な文体と美しい挿絵で絵本よりずっと生々しく物語が迫ってくる。
セラはチラりとユリウスを見た。
「ん?大丈夫、よく読めてる」
「これをあなたたちは小さい頃に読むなんてすごいわね」
「これで帝国語の基礎を覚えるからね。ここまでが絵本にもなっている部分」
セラは続きの部分を再び声に出して読み出した。
しかしそうした女神ルミナの行動の数々に父なる神は怒り、ルミナは力を奪われ地上に堕とされた。
エルフに保護され人の足では踏み入ることのできない幻惑の森に身を隠した女神ルミナ。
四体の神獣はライアを突き動かしルミナを探す旅に出た。
ページをめくると森の奥深いところの泉で出会う二人。人であるライアが森に踏み入ることができたのは神獣の加護によるものか、あるいはルミナを求める愛の力だったのか。
「私はもう、あなたの力になったかつての女神ではないのです」
震え泣くルミナをライアはしっかりと抱きしめる絵はとても美しかった。
「力がなかろうと構いません、私はあなたをずっと求めていました。あなたを心から愛しています」
二人はその場で結ばれ、その時ルミナに命が宿った。
現在の帝国の皇帝の祖となる命だった。
ライアは周辺民族をまとめ上げ帝国を築いた。
そしてルミナは微かに残る力の全てで神獣を人の姿に変え、荒れ果てた大陸を豊かにするよう王国を築いて王とした。
しかし再び神の怒りに触れる。
神の娘であるルミナの体に人の精を注ぎ込んだライアに対し、また神の血から作られた神獣を人に変えたルミナに対し。
こうした神の怒りを鎮めるために神と人は盟約を結ぶことになった。
女神と神獣の末裔は、神に許された者とだけ結ばれると。
ここまで読んでユリウスが口を開いた。
「だから、王族や皇族は神託で結婚相手が決まるんだ」
天上の神と、地上で跪く皇帝と四人の王の絵を見つめるユリウスの横顔から笑顔は消えていた。
ユリウスはこの物語を私に読ませた理由がわかった気がした。王位継承者が神託で花嫁が決まることを知らない民はいない。それが神との盟約だからだと言いたかったのだろう。
彼が私に友達ではない感情を抱いていることは気がついている。
それでも私はしっかり線を引いてきた。
「あなたはきっと、神託の花嫁を愛して幸せになれるわ」
そう告げると、ユリウスは何も言わなかった。
その沈黙が、胸に刺さる。
「さて、本を戻してくるよ」
そう言うと彼は本を抱え、席を立ってしばらく戻ってこなかった。


