清い交際していた幼なじみが、解禁したらスパダリ策士に覚醒しました。
美織の決意
夕方、美織が母に呼ばれて実家に帰ってきた頃には、陽斗の姿はもうなかった。
何も知らずに「ただいまー」と入ってきた娘に、母はにっこり微笑む。
「おかえり。……美織」
「ん?」
「陽斗くん、今日挨拶に来てたの」
美織の手がぴたりと止まり、眉が少しだけ動いた。
「……え、そうなの?」
「スーツ姿で、ちゃんと手土産まで持って」
「……どういうこと?」
驚いてないふりをしたけど、心臓がどくん、と鳴った。
「真面目な顔して、『結婚のことも、また改めてご挨拶に来ます』って。あの子、本当にあなたのこと、大事にしてるのねぇ」
「……それ、わたしには何も言ってなかったけど」
「“言うと美織にプレッシャーかけるから”って、言ってたわよ。資格のことも、将来のことも、いろいろ考えてるみたいだったわ」
母のその言葉を聞いた瞬間、美織は喉の奥がぎゅっとなった。
あの人らしい――
なんでも「言わないで」済ませようとする。黙って努力して、黙って準備して。
美織にはただ「会いたい」とか「抱きたい」とか、そんなふうに本音だけぶつけてくるくせに、大事なことは黙って、背中で見せてくるなんて。
「……ずるいよ、もう」
呟いた声は、カップの湯気の中に溶けていった。
夜、ベッドに寝転んでスマホを見ていたら、陽斗から「今日の夕飯、何食べた?」なんて軽いメッセージが届いていた。
美織はしばらくそれを眺めて、ゆっくり指を動かした。
《唐揚げ。お母さんのやつ》
《うまそ》
《陽斗のこと、聞いたよ》
《……え?》
少し間が空いて、通知がもう一度光る。
《あー、それは……ごめん。黙ってて》
《いいよ。なんか陽斗らしいなって思った》
《そう?》
《……ありがとうね》
そう打ったあと、ほんの少し悩んでから、こう付け加えた。
《ちゃんと、わたしの将来まで考えてくれてるの、うれしい》
既読がついたまま、返事はしばらく来なかった。でもそのあと、ひとことだけ、まるで口元を緩めた顔が浮かぶようなメッセージが届いた。
《俺、絶対手離さないからな》
美織はスマホを胸の上に置いて、目を閉じた。安心と、愛しさと、ちょっとだけ涙がにじむような気持ちが混ざりあっていた。
「……知ってるよ、バカ」
声に出した言葉は、ひとりきりの部屋にだけ、そっと響いた。
その次の土曜の午後。陽斗の部屋。
気温も暖かくなってきて、2人は窓を開けて昼寝をしていた。
美織はソファに座り、陽斗の膝を枕にして、ぽかぽかした陽射しを浴びながら本を読んでいる。
陽斗は片手で美織の髪を梳いて、もう片手でスマホをいじっていた。
この「何も起きない時間」が、ただただ心地よかった。
「……ねえ、陽斗」
「ん?」
「親に、挨拶してくれてありがとう」
「あー……びっくりした?」
「うん。めちゃくちゃ、びっくりした。……でもね、嬉しかった」
美織は体を起こし、陽斗の顔を見た。
彼の優しい目が、まっすぐ美織を見返してくる。
「結婚のこと、ずっと避けてたの。考えると、何かを捨てる気がして怖かった。キャリアとか、自分の自由とか。でも、最近……それだけじゃないなって思って」
「ん?」
「……“誰かと生きていく”って、やっぱり勇気がいることなんだなって」
陽斗は、そっと美織の手を取る。
「俺は、何も捨ててほしくないよ。美織には、夢も、やりたいことも、全部叶えてほしい。その横に、俺がいられたら、それだけでいい」
「……そう言われると、ますます泣きたくなるじゃん……」
美織はふっと笑い、陽斗の胸に頭を預けた。
「今すぐ結婚、ってまだ答え出せない。でも、陽斗との未来を“ちゃんと考えたい”って思ってる。だから、もう逃げないよ」
「……それって、プロポーズの返事?」
「ちょっと待って。それは“プロポーズされてから”言うから。今は……予告の返事。予告のYES」
陽斗の腕が、そっと美織の身体を抱きしめる。
「じゃあ、俺も予告しとく。その時が来たら、ちゃんと指輪渡して、花も持って、膝ついて言うから」
「ふふっ……陽斗がそんな王道なプロポーズするなんて」
「美織には、ちゃんと全部渡したいんだよ。名前も、未来も、俺の人生も全部」
美織の心が、ぽたり、と音を立てて、何かを手放した。
それは“迷い”だった。
その夜、美織はいつもより自分から陽斗に触れた。
そっと肌に触れる手。
唇を重ねるタイミング。
「……今日は、私から、ね?」
驚いたような顔をした陽斗が、すぐに目を細めた。
「……美織からの予告のYES、大事にする」
「うん……ちゃんと、あげるからね。いつか、全部」
何も知らずに「ただいまー」と入ってきた娘に、母はにっこり微笑む。
「おかえり。……美織」
「ん?」
「陽斗くん、今日挨拶に来てたの」
美織の手がぴたりと止まり、眉が少しだけ動いた。
「……え、そうなの?」
「スーツ姿で、ちゃんと手土産まで持って」
「……どういうこと?」
驚いてないふりをしたけど、心臓がどくん、と鳴った。
「真面目な顔して、『結婚のことも、また改めてご挨拶に来ます』って。あの子、本当にあなたのこと、大事にしてるのねぇ」
「……それ、わたしには何も言ってなかったけど」
「“言うと美織にプレッシャーかけるから”って、言ってたわよ。資格のことも、将来のことも、いろいろ考えてるみたいだったわ」
母のその言葉を聞いた瞬間、美織は喉の奥がぎゅっとなった。
あの人らしい――
なんでも「言わないで」済ませようとする。黙って努力して、黙って準備して。
美織にはただ「会いたい」とか「抱きたい」とか、そんなふうに本音だけぶつけてくるくせに、大事なことは黙って、背中で見せてくるなんて。
「……ずるいよ、もう」
呟いた声は、カップの湯気の中に溶けていった。
夜、ベッドに寝転んでスマホを見ていたら、陽斗から「今日の夕飯、何食べた?」なんて軽いメッセージが届いていた。
美織はしばらくそれを眺めて、ゆっくり指を動かした。
《唐揚げ。お母さんのやつ》
《うまそ》
《陽斗のこと、聞いたよ》
《……え?》
少し間が空いて、通知がもう一度光る。
《あー、それは……ごめん。黙ってて》
《いいよ。なんか陽斗らしいなって思った》
《そう?》
《……ありがとうね》
そう打ったあと、ほんの少し悩んでから、こう付け加えた。
《ちゃんと、わたしの将来まで考えてくれてるの、うれしい》
既読がついたまま、返事はしばらく来なかった。でもそのあと、ひとことだけ、まるで口元を緩めた顔が浮かぶようなメッセージが届いた。
《俺、絶対手離さないからな》
美織はスマホを胸の上に置いて、目を閉じた。安心と、愛しさと、ちょっとだけ涙がにじむような気持ちが混ざりあっていた。
「……知ってるよ、バカ」
声に出した言葉は、ひとりきりの部屋にだけ、そっと響いた。
その次の土曜の午後。陽斗の部屋。
気温も暖かくなってきて、2人は窓を開けて昼寝をしていた。
美織はソファに座り、陽斗の膝を枕にして、ぽかぽかした陽射しを浴びながら本を読んでいる。
陽斗は片手で美織の髪を梳いて、もう片手でスマホをいじっていた。
この「何も起きない時間」が、ただただ心地よかった。
「……ねえ、陽斗」
「ん?」
「親に、挨拶してくれてありがとう」
「あー……びっくりした?」
「うん。めちゃくちゃ、びっくりした。……でもね、嬉しかった」
美織は体を起こし、陽斗の顔を見た。
彼の優しい目が、まっすぐ美織を見返してくる。
「結婚のこと、ずっと避けてたの。考えると、何かを捨てる気がして怖かった。キャリアとか、自分の自由とか。でも、最近……それだけじゃないなって思って」
「ん?」
「……“誰かと生きていく”って、やっぱり勇気がいることなんだなって」
陽斗は、そっと美織の手を取る。
「俺は、何も捨ててほしくないよ。美織には、夢も、やりたいことも、全部叶えてほしい。その横に、俺がいられたら、それだけでいい」
「……そう言われると、ますます泣きたくなるじゃん……」
美織はふっと笑い、陽斗の胸に頭を預けた。
「今すぐ結婚、ってまだ答え出せない。でも、陽斗との未来を“ちゃんと考えたい”って思ってる。だから、もう逃げないよ」
「……それって、プロポーズの返事?」
「ちょっと待って。それは“プロポーズされてから”言うから。今は……予告の返事。予告のYES」
陽斗の腕が、そっと美織の身体を抱きしめる。
「じゃあ、俺も予告しとく。その時が来たら、ちゃんと指輪渡して、花も持って、膝ついて言うから」
「ふふっ……陽斗がそんな王道なプロポーズするなんて」
「美織には、ちゃんと全部渡したいんだよ。名前も、未来も、俺の人生も全部」
美織の心が、ぽたり、と音を立てて、何かを手放した。
それは“迷い”だった。
その夜、美織はいつもより自分から陽斗に触れた。
そっと肌に触れる手。
唇を重ねるタイミング。
「……今日は、私から、ね?」
驚いたような顔をした陽斗が、すぐに目を細めた。
「……美織からの予告のYES、大事にする」
「うん……ちゃんと、あげるからね。いつか、全部」