令和恋日和。 ~触れられない距離に恋をして~



 ***

 ある一枚の写真の前で、侑がふと足を止めた。モノクロの風景写真。古い港町の桟橋を切り取ったその写真は、静かで、どこか懐かしさを感じさせるものだった。侑がその写真に見入る姿を、芙美はそっと横から見つめた。眼鏡の奥の瞳が、静かに光を湛えている。その真剣な横顔に、芙美の胸はじんと熱くなった。
「素敵ですね……」
 芙美が小さく呟くと、侑はふと彼女に目を向けた。二人の視線が重なった瞬間、まるで時間が止まったように、芙美の息が一瞬詰まった。静かな会場の中、ほかの来場者の足音や囁き声が遠くに聞こえるだけ。二人だけの空間が、そこに生まれていた。
 侑の瞳には、穏やかさと同時に、どこか真剣な光が宿っていた。芙美は自分の心臓が速く鼓動を打つのを感じ、視線を逸らそうとしたが、なぜかその瞳から目を離せなかった。

「……もし、触ってもいいですか?」
 侑の声は小さく、しかし真剣だった。その言葉に、芙美の心は大きく跳ねた。何を触るのか、どんな意味なのか。一瞬、頭の中が空白になる。だが、彼女は自分でも驚くほど自然に、軽く頷いていた。
 侑の手が、そっと芙美の肩に触れた。ほんの一瞬の、軽い接触だったが、その温かさが彼女の全身に広がるような感覚だった。胸の奥で、小さな火花が散った。まるで、心の奥にしまっていた何かが、静かに、だが確かに動き出した瞬間だった。
 芙美は、侑の手に触れた感触を、まるで宝物のように胸に刻んだ。彼女の頬がほのかに赤らみ、言葉に詰まる。侑もまた、彼女の反応に気づいたのか、軽く微笑んで手を離した。

「ごめん、びっくりさせちゃったかな」
 その声は柔らかく、どこか照れを含んでいた。芙美は首を振って、笑顔で答えた。
「ううん、大丈夫です……」
 言葉は短かったが、その中に込められた感情は、二人にしかわからない温かさに満ちていた。



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