身代わり王女は隣国の皇弟に囚われる

11

 豪奢なシャンデリアに照らされ、眩しいほどに明るいダンスホール。楽団が奏でる優雅な音楽と、人々が談笑する声が響く。使用人たちが忙しなく運び込む料理は、王国では目にしたことのないものばかりだ。エリシアらしく振る舞うこともできず、「すごい……」と溢す。王国のパーティーすら参加したことのないネリアにとって、生まれて初めてのパーティーが帝国のものになるとは、予想だにしなかった。

「何ぼんやりしてんだよ」
「! ぼんやりなんてしていませんわ」

 パッと隣を見上げると、にやにやと揶揄うような笑みを浮かべるシルビオ。浮かれているのを見透かされているようで、顔が熱い。慌ててすまし顔を取り繕うが、シルビオは変わらず笑っている。

「嘘つけ。口開けてたくせに」
「嘘!?」
「嘘」

 いけしゃあしゃあと宣うシルビオ。最近気づいたけれど、彼はネリアを揶揄うのが心底楽しいらしい。先ほどネックレスをつけてくれたときは少し照れていたのに、切り替えが早すぎる。む、と眉間に皺を寄せると、「悪かったって」と悪びれなく謝られた。心が全くこもっていないことは、この短い付き合いでも流石にわかる。

「行くぞ」

 そう言って歩き出すシルビオにエスコートされ、広間を進む。ふと、すれ違う人たちからの視線に気がついた。パーティーと聞いて呑気に喜んだけれど、よくよく考えればシルビオとの婚約を披露するパーティーなのだ。目立って当たり前だ。

 ――それにしても。

 投げかけられる視線に、好意的なものが少ないのは気のせいではないだろう。嫌悪、嫉妬、猜疑、好奇心、その他諸々。稀代の魔法使いであるキシュ王国の王女だからだろうか、と思ったけれど、きっとそれだけではない。掴んだ腕の先を、ちらりと盗み見る。ネリアをエスコートするシルビオは、いつになく無表情で、周囲の様子など目に入っていないようだ。皇宮を案内されたときの侯爵の様子や、聞かされたシルビオの生い立ち、それからパーティーについて話していたときの苦々しげな表情を思い出す。ろくな思い出がないのか、と言って肯定も否定もされなかった理由がよくわかった。

「なんだよ、じろじろ見て」
「じろじろなんて見てませんわ」
「ふうん」
「なんですか」
「別に、なんもねえよ」

 ぶっきらぼうに返すシルビオだけれど、口調はどこか柔らかい。腕を掴んでいない方の手で、首元のネックレスに触れる。まさかシルビオから贈り物をもらう日が来るだなんて、出会った当初のネリアは想像だにしなかった。

 歩み寄ってお互いのことを知ろうと提案し、なぜか押し倒された末に泣かされた日の翌日。明日も来るようなことを言っていたシルビオの言葉を、ネリアは半分以上信じていなかった。頑なに偽王女だと疑われているし、婚約も命令で結ばれたもの。成り行きで生い立ちのことを明かしてくれたけれど、それだけで信頼を勝ち得たと思えるほども楽観的ではない。一晩限りの戯言で、反故にされるのだろうと予想していた。

 けれど、ネリアの予想は外れる。翌日、就寝準備を済ませたネリアの元に、シルビオはやってきたのだ。しかも翌日だけでなく、その次の日も、そのまた次の日も。予想とは裏腹に、約束は守るらしい。いつの間にか、ネリアの部屋を訪れ、寝るまでのわずかな時間を一緒に過ごすことが日課になっていた。

 とはいえ、お互いにまあまあなマイナスイメージから始まった関係。どうやって間を持たせようか悩んだけれど。シルビオとの話題に意外と困らなかったのは、嬉しい誤算だった。妃教育の内容や、王国の現状について、それからお互いの自己紹介等々。侍女から淹れ方を教わったばかりで決しておいしくはない紅茶を、文句ひとつ言わずに飲み干してシルビオは答えてくれる。律儀な人だ、と思わぬところで感動した。

 シルビオが定期的に王国を訪れていることを、ネリアは知っている。消えた村人の調査と、王国の代理統治のためだ。国王夫妻が亡くなり、貴族が軒並み行方不明という不安定な情勢の中、王族の生き残りを連れて行って万が一が起きることを防ぐため、だなんてもっともらしい理由をつけてネリアは調査に同行させてもらえないけれど。偽王女だと疑われているから帰らせてくれないのだろう、ということは流石に察している。

 それでも、王国に関する情報を何一つ教えてもらえないままでいられるはずもない。せめて国民の安否だけでも教えてもらえないか、とダメもとで懇願したのが数日前の話。きっと教えてくれないのだろう思っていたけれど、意外や意外。「少なくとも暴動は起きていないし、食うものに困ってる様子もない」とあっさり教えてくれた。

 彼が王国へ赴くのは調査と統治のため。皇弟としての務めを果たしているだけで、キシュ王国やネリアに対して特別な思い入れがあるわけではない。そんなことはわかっている。けれど、それでも王国の様子を見てくれることも、ネリアの発言を尊重して教えてくれることがありがたかった。第一印象はお互いに酷いものだったけれど、もしかしたらいい関係を築いていけるのかもしれない。そんな希望が、ネリアの胸の中に芽生えた。

 *

 帝国のパーティーは、王国以上に華やかだ。

 王国のパーティーの様子は、エリシアから伝え聞いたことしかないけれど。どう想像を膨らませても帝国の煌びやかさには勝てそうにない。そんなことを、代わる代わる謁見に来る貴族たちに応対しながら考える。定型文かのような婚約祝いを述べているけれど、本心から祝ってくれているのは果たしてこの中に何人いるのだろうか。

 ――誰が誰だかわからないわ。

 エリシアが似たようなことを言っていたのを、不意に思い出す。パーティーと聞いて浮き足立っていたけれど、そんな楽しいことばかりではないのだ。妃教育で事前に覚えておかなければ、こんなに滑らかに対応することはできなかっただろう。

 すっかり張り付いてしまった笑みを浮かべ、決まりきったお礼の言葉を返す。上げっぱなしの口角はそろそろ痛い。パーティーが終わっても元に戻らなかったらどうしよう、と馬鹿げたことを心配しながらチラリと隣を盗み見る。他所行きの笑顔を浮かべるシルビオは、いつも以上に王子様然としている。羨むほどに綺麗な金髪、吸い込まれそうな青色。帝国ではさぞや女の子にモテたことだろう。ご令嬢方のネリアを見る視線の大半が嫉妬なのが、何よりの証拠だ。

 それでも、シルビオの方が大変なのは隣にいるだけでわかる。会場入りするときの一瞬だけで、シルビオが普段晒されている視線の種類はなんとなくわかった。ネリアとて、帝国貴族たちから両手を挙げて歓迎されているわけではないけれど、市井出身の皇弟に向けられる視線とは比べるべくもない。それでも、ネリアが微笑んでお礼を告げるだけで許されているのは、シルビオが代わって対応してくれるからだ。個人の顔と名前を完璧に把握し、それぞれに合わせた言葉で対応する様子を見て、素直に尊敬の念を覚えた。

 ――この人、すごいのね。

 そんな月並みな感想を覚えながら、正面に向き直る。あともう少し頑張ろう、そう決意を新たにし、次に現れた人物を見て――顔を引き攣らせた。

「ユルゲン侯。来てくれたのか」
「もちろんです、殿下。この度はご婚約おめでとうございます」

 恭しく頭を下げる侯爵。「以前お会いしましたね」とネリアにも声をかけるので、「ええ。お久しぶりでございます」と引き攣った笑みを返す。皇宮を案内してもらったときに顔を合わせて以降、彼と会うことはなかったのだけれど。相変わらず、向けられる視線は品定めするようにねちっこい。最後まで笑顔は持つだろうか、と思っていると、「いやはや、しかし感慨深いですな」とわざとらしく語り始める。

「殿下が初めてこの城に来られた日のことを思い出しますよ。市井育ちの礼儀もなっていない子供が、突然皇帝の息子だなんて言って連れてこられて」
「!」

 一瞬で空気が凍りつくのがわかった。隣に皇帝もセレステもいるのに、侯爵に躊躇う気持ちはないのだろうか。直接的な侮辱がないからか、誰も止めるに止められない。それが侯爵を調子に乗せたようだ。

「一時は酷いものでしたな。お父君であるはずの皇帝には髪色から顔立ちまで全く似ていないし、本当にご子息なのかなんて城中が疑っていて」
「……そうだな」

 低く返すシルビオを見ると、口元には笑みを湛えているけれど目が笑っていないことに気づいた。拳は痛そうなほど握りしめられている。短い付き合いだけれど、耐えていることがわからないほど浅い仲でもない。夜な夜な雑談していたからこそわかる。ネリアから見たシルビオは、別に心底から高潔なわけでも、気高いわけでもない。人のことをずっと疑っているし、すぐに意地悪するし、揶揄するようなことも言ってくる。けれど、だからと言って皇弟らしくないかと言えば、全くそんなことはないのだ。

「お言葉ですが」

 唐突に口を開いたネリアに、周囲にいた全員の視線が注目する。せっかくシルビオが耐えているのに、ネリアが意見すればその努力を台無しにするかもしれない。そもそも、こういう場で女性が食ってかかるだなんて、きっとマナー違反以前の問題だろう。社交界に身を投じたことなどないネリアだけれど、これが褒められた行動でないことは自分が一番よくわかっている。けれど、自らの婚約者がコケにされているのを黙って見ているのは、一国の王女として許せなかった。

「侯爵様は、帝国と王国の国境沿いで村人が行方不明になっている件についてご存知でしょうか?」
「何を急に……知らない訳がないでしょう」
「そうですわね。では、殿下が自ら赴きその調査にあたっていることは?」

 押し黙る侯爵に、「有事の際には自ら戦場の先頭に立ち、身を粉にして尽くすのは、並大抵のことじゃありませんわ」と続ける。皇弟として当然のことと言えば当然のことかもしれないが、彼が皇宮に呼ばれたのは十歳を過ぎてから。人生の半分を平民として過ごした彼が、唐突に皇族だと知らされてからの人生はどれほどのものだったのだろう。ネリアには全てを知る術もないけれど、それでも彼がこの国の皇弟たろうと努力しているのは、付き合いが短くてもわかる。

「殿下の見た目ではなく、行いを見るべきかと存じますわ」
「……キシュ王国の王女は、随分饒舌なようだ」
「ええ。聞いていた話とは違いましたか?」

 憎々しげな表情を浮かべる侯爵は、何も答えない。エリシアはどうだったのだろう、と思ったけれど、パーティーで伯爵家だかの子息を言い負かしたと豪語していたのだから、きっと今のネリア以上に弁が立ったに違いない。イメージ通りのことをしているはずだ、と胸を張る。

「随分、稀代の魔法使いからの信頼を勝ち得たものですな」
「そう見えるのなら光栄だ」
「ふん……」

 粗雑に頭を下げると、侯爵は踵を返す。後ろに控えていた貴族が挨拶に来たけれど、気まずそうにしているのは誰が見ても明らかだった。チラリと隣を伺うと、シルビオはもう他所行きの笑顔に戻っている。あとで謝ったほうがいいかな、と内心考えた。が、その奥から皇帝とセレステが、ネリアを見て微笑むのが見えた。

 *

 賓客への挨拶が一通り終わった頃。どっと疲れたネリアの脳裏に過ぎるのは、先ほどの侯爵とのやり取り。まだパーティーの最中だからか、ネリアを表立って嗜めようという人はいないけれど、どう考えても印象は良くないだろう。チラチラと遠慮がちによこされる視線が痛い。シルビオに謝り、どうしたらよいか聞いてみようか。そんなことを考えていると、シルビオの方からネリアの元へやってきた。

「行くぞ」
「あ、はい」

 唐突に差し出された手を、間の抜けた返事と共に取る。咄嗟のことでエリシアを取り繕うこともできない。今から侯爵のところへ謝りにでも行くのだろうか、と思ったけれど。連れてこられたのはダンスホール。今から踊るらしい、ということをそのときになってようやく理解した。侯爵への無礼な物言いを一瞬で忘れ、そわりと浮き足立つネリア。この日のためにダンスの猛練習を積んできたのだから、仕方ないと言えば仕方がないのかもしれない。

「で? 結局ダンスは上達したのか?」
「もちろん。先生の足を踏むのは一日一回までに減ったわ」
「……」

 胸を張るネリアに対し、渋い顔をして何やらぶつぶつと呟くシルビオ。「何をしたの?」と尋ねると、「靴に硬化魔法をかけた」としれっと返される。周囲に聞こえないよう、「失礼ね!」と小声で叫んだ。どうやら、皇弟は婚約者のダンスの腕前を全く信用していないらしい。「いくらでも踏んで良いから好きなように踊れよ」となぜか機嫌が良さそうだけれど、不服なことこの上ない。妃教育の成果を見せつけてやろうと思っているのに、あまりに舐められたものだ。

「ほら、他所見すんなって」
「わっ」

 手を引かれ、優雅な音楽に合わせてステップを踏む。妃教育で、何度も何度も練習したワルツ。足運びひとつ満足にできなかったネリアに、先生はずいぶん辛抱強く付き合ってくれたものだ。塔にいた頃、パーティー帰りのエリシアはダンスのことをつまらなさそうに話していたけれど。ネリアにとって、パーティーもダンスも、ずっと憧れだった。王国でパーティーが開かれるたび、踊り方を知らないマリーと二人でくるくる回ったものだ。

 それがまさか帝国のパーティーに参加し、衆目を集めて踊ることになるとは。あの頃のネリアには想像も出来なかったことだ。シルビオはリードするのが上手いのか、ネリアの覚束ない足取りでもしっかり支えてくれる。腰に回った手の力強さに、心臓が高鳴るのを感じた。

「何にやけてんだよ」
「にっ、にやけてなんかいませんわ」
「へえ?」

 ニヤニヤと見下ろすシルビオの方が、よっぽどにやけている。むう、とむくれてみせると、「悪かったって」と悪びれの欠片もない謝罪が降ってくる。絶対悪いと思ってないでしょ、と思ったけれど。パーティーにろくな思い出なんてないと言っていた割に、ずいぶんと楽しそうなので許した。足運びもターンも難しいけれど、練習のときよりずっと楽しい。周りの反応を見ることもできないぐらい、踊るのに夢中になってしまう。曲が一区切りつく頃には、すっかり息が上がっていた。

「硬化魔法、無意味でしたわね?」

 足を一度も踏まずに踊り終えたことが嬉しくて、顎を逸らしてシルビオを見上げる。「踏まないのが当たり前なんだよ」と、呆れたように笑うシルビオが、ほんの少し楽しそうに見えたのはきっと気のせいじゃないはずだ。
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