幕末を生きる
第三章 中村重助
第三章 中村重助
「珍しいねェ、稔麿が失敗するなんて」
櫓から往来を眺めれば、見慣れた顔ふたつ。ひとつは不運な女の顔。彼女には随分迷惑をかけてしまったが、志の為には仕方の無いことだ。もうひとつが問題だった。彼女と奴が接触するのはまずい。隣で煙管を吹かす久坂の言う通り、これは紛れもなく失敗であった。
「どう始末を付けるつもりだ?」
「殺すか?」という久坂を尻目に、稔麿は往来をただ眺めていた。
「ほら、屯所まで来ていただきますよ」
「待ってください!私は決して怪しい者では!」
「話は屯所で聞きます。ああ、言い忘れてた。手向かいすれば斬り捨てますよ」
物騒な言葉が耳を掠めて思わず身体が固まった。斬り捨てるって、いや嘘でしょう。冗談に決まってる。そう頭に言い聞かすが、巷で聞く新撰組の噂を思い出して肝が冷えた。
「あ、言っておきますが冗談じゃありませんよ。私はそこのところの道理が甘いと、いつも注意されてるんです」
「わ、わ、分かりました!着いていきますから、これで良いですか?」
「足りませんね、逃げないように縄で絞めさせて頂きます」
百両を追い掛けてきただけなのに、新撰組に捕まるなんて。度重なる災難に頭がはち切れそうだった。男は手際よく縄で縛ると、縄の端を持ってハルをグイッと引っ張った。
三条通には人が多く、ただでさえ目立つ新撰組の隊服に引かれるハルは余りにも目立っていた。すれ違う人の中には、ハルと目が合っただけで震え上がる者もいた。
ハルの気持ちとは裏腹に、前を歩く男の機嫌はすこぶる良い様子だった。
「いやあ、良い天気ですねえ」
誰に話しかけているかも分からぬ言葉を大きな声で吐く姿は、まるで狂人であった。
「貴方もそう思いませんか?えー、名前はなんと言いましたっけ」
「……ハルです」
「ハルさん」
男は少し嬉しそうに頷いた。これがこの男の天性の性なのだろう。
「私は沖田総司といいます」
「は、はあ」
「ハルさん、お腹空きませんか?」
つくづく掴めない男だと思う。最初から今の今まで、沖田の行動はハルを疑っているのに、言動はハルと親しくなりたいのかと錯覚させた。これが沖田総司……今や京で知らぬ者は居ない名であった。
「さあ、召し上がれ」
「あの、沖田さん。両手の縄を解いて頂かないと食べられません」
「それは困りましたねえ」
沖田はみたらし団子をひとつ頬張ると、あざとい顔でハルを見た。ハルに団子を食べさせる気は無いのだろう。自力で食ってみろと言わんばかりの態度である。
「そういえば、ハルさんはどうして長州藩邸を覗かれていたんですか?」
沖田はこの娘と歩いている間、誠にただの町娘かどうか、いくつか試してみていた。出た答えは勿論ただの町娘であろうということになった。まるで隙だらけ。町人達の様子ばかり気にして、沖田が喋りだして初めてこちらに注意を向けた程だ。
「あそこに知り合いがいると聞いたので、出てきやしないかと見てただけです」
「ほう」
「私、その人に金を盗まれたんです」
「いくらですか?」
「ひゃ、百両」
暫し沈黙。娘が持つにしては随分な大金だ。しかし、そういう詐欺はよくあった。特に、若い二人で店を開こうと金を貯め、最終的にどちらかが金を盗んで姿をくらますというものだが。長州藩士がこの世間知らずな娘に対し、この策を使ったというわけだ。
「盗んだ者の名は?」
「中村重助」
なるほど。沖田の脳内で、完全に話が繋がった。
「なるほど、それはそれは…大変でしたね」
「そうなんです……だから私、怪しくありませんから。解放していただけますか?」
ハルとしては懇願に近かった。こうしている間にも返済期限が近付いていると思うと、はやく重助に会って訳を聞かねばと焦る気持ちが出てくる。ダメで元々。頼む…。
「いいですよ」
返ってきた言葉は予想外のものであった。
「ただしハルさん、ここで私と別れれば間違いなく貴方は殺されますがね」
また沈黙。
「え、どうして…」
「ハルさん、貴方の金を盗んだ男は長州藩士で間違いありません。中村重助は偽名ですよ。そいつの真の名は、吉田稔麿」
吉田、稔麿。心の中で反芻する。沖田の言葉は唐突で、信頼できないと跳ね飛ばすのは簡単だった。しかし、辻褄が妙に合うのだ。重助に抱いていた疑念を取り払った私がいけなかった。
「どうやら、心当たりがお在りのようだ」
沖田が悪戯に笑みを浮かべた時、ハルの脳裏には何故か重助のクシャリとした笑顔が浮かんでいた。
「珍しいねェ、稔麿が失敗するなんて」
櫓から往来を眺めれば、見慣れた顔ふたつ。ひとつは不運な女の顔。彼女には随分迷惑をかけてしまったが、志の為には仕方の無いことだ。もうひとつが問題だった。彼女と奴が接触するのはまずい。隣で煙管を吹かす久坂の言う通り、これは紛れもなく失敗であった。
「どう始末を付けるつもりだ?」
「殺すか?」という久坂を尻目に、稔麿は往来をただ眺めていた。
「ほら、屯所まで来ていただきますよ」
「待ってください!私は決して怪しい者では!」
「話は屯所で聞きます。ああ、言い忘れてた。手向かいすれば斬り捨てますよ」
物騒な言葉が耳を掠めて思わず身体が固まった。斬り捨てるって、いや嘘でしょう。冗談に決まってる。そう頭に言い聞かすが、巷で聞く新撰組の噂を思い出して肝が冷えた。
「あ、言っておきますが冗談じゃありませんよ。私はそこのところの道理が甘いと、いつも注意されてるんです」
「わ、わ、分かりました!着いていきますから、これで良いですか?」
「足りませんね、逃げないように縄で絞めさせて頂きます」
百両を追い掛けてきただけなのに、新撰組に捕まるなんて。度重なる災難に頭がはち切れそうだった。男は手際よく縄で縛ると、縄の端を持ってハルをグイッと引っ張った。
三条通には人が多く、ただでさえ目立つ新撰組の隊服に引かれるハルは余りにも目立っていた。すれ違う人の中には、ハルと目が合っただけで震え上がる者もいた。
ハルの気持ちとは裏腹に、前を歩く男の機嫌はすこぶる良い様子だった。
「いやあ、良い天気ですねえ」
誰に話しかけているかも分からぬ言葉を大きな声で吐く姿は、まるで狂人であった。
「貴方もそう思いませんか?えー、名前はなんと言いましたっけ」
「……ハルです」
「ハルさん」
男は少し嬉しそうに頷いた。これがこの男の天性の性なのだろう。
「私は沖田総司といいます」
「は、はあ」
「ハルさん、お腹空きませんか?」
つくづく掴めない男だと思う。最初から今の今まで、沖田の行動はハルを疑っているのに、言動はハルと親しくなりたいのかと錯覚させた。これが沖田総司……今や京で知らぬ者は居ない名であった。
「さあ、召し上がれ」
「あの、沖田さん。両手の縄を解いて頂かないと食べられません」
「それは困りましたねえ」
沖田はみたらし団子をひとつ頬張ると、あざとい顔でハルを見た。ハルに団子を食べさせる気は無いのだろう。自力で食ってみろと言わんばかりの態度である。
「そういえば、ハルさんはどうして長州藩邸を覗かれていたんですか?」
沖田はこの娘と歩いている間、誠にただの町娘かどうか、いくつか試してみていた。出た答えは勿論ただの町娘であろうということになった。まるで隙だらけ。町人達の様子ばかり気にして、沖田が喋りだして初めてこちらに注意を向けた程だ。
「あそこに知り合いがいると聞いたので、出てきやしないかと見てただけです」
「ほう」
「私、その人に金を盗まれたんです」
「いくらですか?」
「ひゃ、百両」
暫し沈黙。娘が持つにしては随分な大金だ。しかし、そういう詐欺はよくあった。特に、若い二人で店を開こうと金を貯め、最終的にどちらかが金を盗んで姿をくらますというものだが。長州藩士がこの世間知らずな娘に対し、この策を使ったというわけだ。
「盗んだ者の名は?」
「中村重助」
なるほど。沖田の脳内で、完全に話が繋がった。
「なるほど、それはそれは…大変でしたね」
「そうなんです……だから私、怪しくありませんから。解放していただけますか?」
ハルとしては懇願に近かった。こうしている間にも返済期限が近付いていると思うと、はやく重助に会って訳を聞かねばと焦る気持ちが出てくる。ダメで元々。頼む…。
「いいですよ」
返ってきた言葉は予想外のものであった。
「ただしハルさん、ここで私と別れれば間違いなく貴方は殺されますがね」
また沈黙。
「え、どうして…」
「ハルさん、貴方の金を盗んだ男は長州藩士で間違いありません。中村重助は偽名ですよ。そいつの真の名は、吉田稔麿」
吉田、稔麿。心の中で反芻する。沖田の言葉は唐突で、信頼できないと跳ね飛ばすのは簡単だった。しかし、辻褄が妙に合うのだ。重助に抱いていた疑念を取り払った私がいけなかった。
「どうやら、心当たりがお在りのようだ」
沖田が悪戯に笑みを浮かべた時、ハルの脳裏には何故か重助のクシャリとした笑顔が浮かんでいた。