春に想われ 秋を愛した夏


「ごめん。やっぱり帰る」
「あ?」

何を言ってるんだ? という顔をキッチンからこちらに覗かせた秋斗がそばにやってきた。

「何で?」

強気な感じで秋斗に詰め寄られると、ちゃんと説明しなくちゃと思っていたことが、あっという間に脳内から飛んでいく。
おかげで説明にもならない、いいわけめいた言葉が口から出てきてしまった。

「なんでって……、それは。秋斗がこの前、あんまり寂しそうな顔見せるから……。だからっ」

曖昧ながらも吐き捨てるように言うと、ぐっと顔が近づいてきた。

「俺に逢いたくなったんだろ?」

自信満々、というよりも。
まるで、それが私の本音だといわんばかりに秋斗が迫ってきた。

「な、何言って……」

私の言葉を遮るように、秋斗のゴツゴツとしていて、でも暖かな手が私の頬に触れた。

「俺は、逢いたかった」

その言葉が合図のように、秋斗が私を抱くようにそのままゆっくりと床に倒れ込む。
覆いかぶさり上から覗き込む秋斗の顔が、愛しそうに私の目を見つめてくる。

「俺は、香夏子に逢いたかったし。こうやって来てくれたことが嬉しい」

繰り返される言葉が呪文のように、私の体を縛り付けていった。

だけど頭の片隅では、さっき明滅を始めた信号がいまだチカチカとしている。
そして、春斗の顔が過ぎる。

僅かに残った自制心を振り絞り、私は秋斗が見つめる瞳から目を逸らした。

「ごめん……。帰る……」

搾り出した言葉に、秋斗が深く息をつく。

「春斗のところにか?」

怒ったような口調の後、肩をぐっと押さえつけられた。

「じゃあ、何でのこのこついてきた」

吐き捨てるように言われても、私は何も言い返せない。
やっている行為は最低だからだ。

「そんな気持ちで一緒にいられる春斗も迷惑だな」

鼻で笑うと、押さえつけていた肩から手をはずし、ああ。と天井を仰いだ。

秋斗はそのままゴロンと横に転がり、腕で顔を隠してしまう。
私は起き上がり、何も言えずにそんな秋斗を見ているしかない。

「ムカつくんだよ」

いまだ顔を隠したまま、秋斗が震える声で漏らした。

「俺が何にも感じてないとでも思ってんのか? 言ったよな。諦められないんだって。なのにのこのこついてこられたら、期待すんだろうが」
「ごめんな……さい」

私は、秋斗になんて酷いことをしているんだろう。
いくら過去のことがあったとはいえ、ストレートに気持ちを伝えてきた相手にこんな風に近づいたりして。
しかも、春斗がいると牽制したくせに、部屋にまで上がりこんでいる始末。
自分だってあんなに傷ついたのに、秋斗に同じ気持ちを味あわせるなんて、言い返せるはずもない。

「……ごめん。帰るね……」

荷物を手にして、逃げるように部屋を出た。
心の中では、何度もごめんなさいを繰り返し。
自分のバカで軽率な行動に、うなだれるばかりだった。

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