春に想われ 秋を愛した夏
いつまでも鳴り止まない音を無視することもできずに気を取られていると、掴んでいた秋斗の手が離れていった。
放さないで。
言葉にならない想いは、伝わるはずもなく。
私に触れていたその手が、スーツのうちポケットに収まる携帯を手にした。
「もしもし」
相手は誰だろう、とか。
どんな内容だろう、とか。
そんな事はどうでもよくて。
離れてしまったぬくもりがやっぱり嘘だった、と言われる気がして急激に怖くなっていく。
こんな風に引き止めたのも。
ここで偶然逢ったのも。
全てが嘘で、秋斗の気まぐれかもしれない。
だいたい、一度ふられている相手なのに、私は何を期待しているんだろう。
期待していた自分に羞恥し、いてもたってもいられなくて私は後ずさる。
ふられた痛みをまた味わうのは、たくさんだ。
これ以上、傷つきたくない。
一歩、また一歩と、私は秋斗のそばを離れる。
通話に気をとられていた秋斗が、離れて行く私に気づき、携帯を持ったままで待って欲しいとでもいうように手を伸ばす。
その手から逃れるように、もう二度と逢わないつもりで私はそこから逃げ出した。
翌日、私が会社でまずしたのは、秋斗が前にくれた名刺をシュレッターにかける事だった。
今までの全てを処分でもするように、細切れになっていく小さな紙をぼんやりと見送った。