溺愛御曹司に囚われて

「皆さん、今日はこの素敵な帝国葦原館へと足を運んでいただいてありがとうございます」


秋音さんの声は、明るくてよく通る。
にっこりと微笑んだ彼女は、ひとりひとりに語りかけるようにゆっくりと客席を見渡した。


「これから演奏させていただくのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲です。ときに俗っぽいとすら言われる彼の音楽ですが、私はこの曲が大好きです。一度囚われてしまったら、とてもこのメロディーを忘れることができません。この曲を聴いたらとてもワクワクして、明日も明後日もずっと聴いていたくなるものです」


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調は、四大ヴァイオリン協奏曲に数えられる有名な曲だ。
叙情的で流麗なチャイコフスキーの音楽には、たしかに魔術的な魅力がある。


「この曲は、憎らしいくらいに私を捕らえて離さないのです。だけど私はこのメロディーと共にいつまでも音楽に溺れていたい。これを好きと言わずに、なんと言うのかしら」


おどけた様子の秋音さんにつられて、まわりの人が少し息をもらして笑う。
私はフッと口元を緩めながらも、必死に涙を堪えていた。

憎らしいくらいに、私を捕えて離さないもの。
私はそのぬくもりを失いたくなくて、明日も明後日も、いつまでも溺れていたいと思っていた。

それを好きと言わないのなら、他のなにが“好き”という感情なのか、今では見当もつかない。

私が好きなのは、高瀬だけ。
私は彼が好きなのだ。

秋音さんの演奏は本当に素敵だった。

ヴァイオリンの独奏部分で繊細に丁寧に積み上げた緊張感が、オーケストラの大きな力と合わさって爆発する瞬間、身体が震えて涙が出た。
限界まで膨れ上がった興奮は、演奏終了と同時に大きな拍手と歓声となって弾けた。

ニコニコと笑って心から楽しそうな表情をした秋音さんが、何度も頭を下げる。
ステージからぐるりと聴衆を見渡す彼女と、一瞬目が合った気がした。

何度も何度もカーテンコールがあって、その度に秋音さんは丁寧にお辞儀をしていた。
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