桜まち 
やっぱり櫂君





  ―――― やっぱり櫂君 ――――





ランチから戻ると、櫂君が待ってましたとはがりに話しかけてきた。

「菜穂子さん。どうしちゃったんですか?」
「な、なにが……」

私は櫂君の方も見ずに席に着き、仕事の準備に取り掛かる。

「その態度ですよ。 朝から全然僕の顔を見ないじゃないですか。おかしいですよ」
「そんなことないよ」

とは言いながらも、やっぱり目を見られない。

櫂君は、しばらくこっちの方を向いていたけれど、いつまでも櫂君のことを見ようとしない私の態度に諦めたのか、深い息をついて前を向いてしまった。
その姿に、何故だか私のほうが深い溜息が出そうで。
そのうえ酷く悲しくもなっていた。

自分から無視するような態度をとっておきながら、相手にしてもらえなくなると悲しくなるなんて。
まるで、親に構ってもらえない子供と一緒だ。

何やってるんだろう、私。



今日一日、櫂君とほとんど口を利くことなく、その日の仕事が終わり、私はほっと息をつく。
小さくお疲れ。と口にしてフロアを出て行くと、ほっとしたのも束の間、櫂君が後を追ってきた。

「菜穂子さん。飲みに行きませんか?」

かけられた声に、思わずビクリとしてしまう。

そんな私とは対照的に、櫂君は一日中口を利かなかった私に対して、何事もなかったように隣に並び、いつもの調子でお酒の誘いをしてきた。
その屈託のなさに、意味も解らず避け続けている自分は、一体なんなんだろう、と自分自身にくぴを傾げたくなってくる。

櫂君がこんなにも慕ってきてくれているのに、私ってばなんで避け続けているんだろう。
よく解らない感情に勝手に振り回されて、櫂君のことを避けているなんて、なんだか段々馬鹿らしくなってきた。

馬鹿らしくはなってきているんだけれど、視線を合わせるのに何故だか酷く勇気がいる。
よしっ。

私は、意を決したように声を上げた。

「うん。飲みに行こうっ」

前を見たまま声を上げると、櫂君がほっとしたように、良かったと呟いた。




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