呉服屋の若旦那に恋しました

離れてもいいよ






“お願い、もう彼を、自由にしてあげて……っ”。




あの後、自分がどうやって家に帰ったかはよく覚えていない。

雨でずぶ濡れになって帰ったので、私は次の日盛大に高熱を出した。

幸いその日は定休日だったから良かったものの、帰宅した志貴が私の様子を見て一気に顔を青ざめさせたのは微かに覚えている。



「今日は衣都の代わりに親父が店出てくれるって言うから」

「ありがとう、ごめんね志貴……」

「安静にしてろよ」



そう言って、布団にくるまっている私の熱いおでこを、志貴の冷たい手が撫でた。

熱を出して二日目。段々と体調は良くなってきた気がするが、まだ頭はぼうっとするし、全身が鉛みたいに重く感じた。

志貴は、もう出勤時間ぎりぎりなのに、布団のそばに胡坐を掻いて、私を心配そうに見下ろしている。

そんな志貴を見ていると、胸の奥の奥がぎゅっと切なくなった。


障子の隙間から見える1月下旬の庭は寒々しく、春のような華やかさが無い。

葉を失い纏うものが無くなった雪柳や、雨に打たれていくつもの波紋をつくる蓮池。

春に来たときは、あの庭は本当に本当に美しかったのに。


「……そろそろ行くけど、何かそばに置いておいて欲しいものあるか?」

「リモコンとタオル」

「分かった、ここに置いてあるからな。他には無いか?」

「……志貴にいてほしい」

「どうしたお前、弱りすぎだぞ」


志貴が、呆れたように、照れくさそうに笑って、私の頬を親指で撫でた。

そう言えば私は、小さいころ良く体調を崩しては志貴に看病してもらっていた。


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