シンデレラは夜も眠れず
 完全に久米島の事も忘れかけたところへ、この男はわざわざ俺の会社にやって来てまた爆弾発言をしたのだ。
「今、綾乃お前の会社で働いてるんだ。健気だよな。有栖川の姓を捨てて一般社員として働いてるんだ。元気にしてるかな?」
 恭介が見ていて憎たらしいほどにっこり微笑む。
 何が「元気にしてるかな?」だ!白々しい。
 この男は俺が知ったら綾乃の入社を認めないとわかっててこう言ってるのだ。
 有栖川の金目当てに近付く輩はいくらでもいる。
「大事な妹に悪い虫がついたらどうするんだ?」
「だから、お前に守ってもらおうと思って。お前も綾乃に変な虫がついたら困るだろう?」
 俺は恭介をギロッと睨み付けると、すぐに部下に調べさせた。
 綾乃は本間綾乃という名前で総務でひっそりと働いていた。
 周りの男性社員の綾乃を見る目が気になって、気づいたその日に辞令を出して彼女を秘書課に異動させた。
 公私混同と言われても仕方がない。
 名目上はほとんど会社に来ない常務の担当にしていたが、綾乃が実際に仕事をしていたのは俺の役員室だった。
 なるだけ他の男の目に触れさせないようにしていたが、他の秘書から綾乃の噂を聞きつけた司は早速綾乃に目をつけた。
「あれは俺のだから、手を出したら殺すよ」
 司が綾乃に近づく前に俺は彼に釘を刺した。
 彼には俺の本気が伝わったのだろう。綾乃には決して近づかず、他の男が彼女に目をつければ俺に報告してきた。
 司だけじゃなく、他の男性社員にも同様の言葉を言った事を綾乃は知らない。
 それでいい。彼女が知る必要などない。
 綾乃は無自覚だが、顔も整っているし、性格も穏やかで、目立たないようにしてはいるがどうしても男性の気を引く。
 ぐずぐずしてると他の奴に綾乃をとられる。
 そんなことは絶対にさせない。
 婚約指輪を用意したのも、婚姻届を入手したのもこの時期だ。
 いつの間にか俺達の事は公然の秘密となり、会長の耳にも入った。
 会長は愛人の子供である綾乃を認めなかった。
 俺に無断で縁談を決め、何度も綾乃を脅し別れさせようとした。
 もう九条という家そのものに辟易していた。
 父が叶えられなかった九条のトップに立つという夢もどうでもよくなった。
 父はハリウッド女優と恋に落ち、カジノで億単位の金を賭けて会社の金まで使い込み九条を追い出された。
 俺にはそのハリウッド女優の血も流れている。
 両親は飛行機事故で亡くなり、ずっと母親の生家にいた俺はやがて九条の駒になるため引き取られた。
 いつか九条グループのトップに立って、一族を見返す。
 その一心で懸命にやってきたが、トップに立ったとしても今の自分には虚しいだけだ。
 綾乃がいない世界など無意味だ。
 綾乃との間に子供が出来ても、あのタヌキは決して彼女を認めないだろう。
 だが、このままでは彼女は離れていく。
 ならば、離れられないようにすればいい。
 悪魔の囁きが聞こえた。
 その夜、初めて避妊せずに綾乃を抱いた。
 彼女の生理の周期は知っていたし、妊娠する可能性は高かった。
 妊娠したら彼女は自分の前から姿を消そうとするかもしれないが、彼女を他の男にとられる事はない。
 彼女の行動パターンは、いまでは恭介よりも俺の方がわかっている。
 絶対に逃がさない。
 本当に妊娠したら?
 九条を捨てて彼女と静かに暮らそう。
 庭がある家で自分たちの子供がペットと遊び回る姿を想像する。
 綾乃の安らげる場所をつくってあげたい。
 自分の綾乃への思いが、独占欲からもっと深いものになっていった。
 そんな時、司が海外の石油プラント建設のプレゼンの相談をしてきた。
 プレゼン相手のトップは幸運にも俺の大学時代の友人だった。世界で1、2位を争う石油会社のCEOの友人は王族でもあった。友人の鶴の一声でプラント建設は九条に決まった。
 国家プロジェクトレベルの契約だ。数千億の金が動く。
 あのタヌキに綾乃の事を認めなければ、会社を辞めると脅した。
 オレが辞める事は、このプラント建設受注の契約もなくなることを意味する。
 この言葉には効果があったのか、あのタヌキはかなりうろたえていた。
 俺は畳みかけるように常務の不正の件を持ち出し、株主総会で会長の責任を問うと脅した。
 自分が会長職を追われるかもしれないと知ると、あのタヌキは手の平を返したように俺に媚びてきた。
 婚姻届の証人欄のところに会長の署名をもらう。
 綾乃が安心する姿が見たかった。
 彼女の不安要素を排除できればそれでいい。
「綾乃が許してもお前に曾孫は抱かせない。今度、綾乃に近づいたら、俺の持ち株は全部海外投資家に売る」
 俺の言葉にあのタヌキは動揺していたが、自業自得だ。
 綾乃と子供を守るためなら悪魔にだって魂を売る。
 九条に未練はない。
 会社の事は司に任せてしばらくゆっくりしよう。
 司の私生活は派手だが、仕事はそつなくこなすし、リーダーシップもある。
 案外、司はトップの器なのかもしれない。
 久米島の空気は綾乃に合ってるのか最近は悪阻も落ち着いてきたし、体調が安定するまではこのまましばらく滞在しよう。 綾乃と一緒に散歩して海を眺めたり、カフェでゆっくりお茶を飲んだり、読書をしたり……。
 今まで仕事を理由にしてゆっくり過ごす事などなかったが、時間は作るものなんだと改めて思う。
 仕事は司に任せておけば心配はいらないし、何より綾乃と一緒にいられるのが嬉しい。
 綾乃の笑顔を見ていると、自分が癒される。
 スローライフを楽しむのもいい。
「九条さん」 
 突然美樹さんに声を掛けられ、顔を上げる。
「綾乃、部屋に戻りました」
 もうそんな時間か。
 腕時計を見ると、23時30分だった。
「知らせてくれてありがとう。俺ももう戻るよ」
「綾乃のあんな幸せそうな顔初めて見ました。冷酷非情って噂を聞いてたし、あなたに協力するのは迷ったんだけど。彼女があんなに明るいのも九条さんが溺愛してるからね。あなたの方が綾乃がいないと生きられないかも。末長くお幸せに」
 美樹さんが柔らかく微笑する。
 確かに、綾乃がいなければ自分は気が狂うかもしれない。
「ありがとう。綾乃と一緒だとお酒は飲めなかったよね?ここはカクテルも美味しいからゆっくりしていくといい」
 こちらも笑って立ち上がると、恭介も俺に合わせるかのように席を立った。
「俺も戻る。それで答えはどうなんだ?」
 恭介が俺の肩に手をかける。
 忘れてなかったか。
 ホント、お節介で面倒な奴だ。
「お前だって俺と綾乃の事は計画的だったろ?妊娠させた事は謝らない。でも、綾乃に会わせてくれた事には感謝するよ、義兄さん」
 初めて恭介を義兄と呼ぶとかなり面食らったようだった。 
「……お前ももう孤独じゃないんだな」
 唯一無二の親友は、一人納得したように呟く。
 ああ、こいつはこういう奴だ。
 いつだって人の事を考えて世話を焼く。
「お前の従弟はあのまま残していいのか?害にならないのか?」
 不意に恭介は残してきた2人が気になったらしい。
「美樹さんは手強そうだから大丈夫だろ。まあ、司には美樹さんみたいなしっかりしてる人がいいかもしれないけど。お前も当面は春香さんの心配だけしろよ。そのうち捨てられるぞ」
「……お前って誰に対しても容赦ないな。俺……義弟の人選間違ったかも」
恭介がポリポリ頭をかきながらぼやく。
「言ってろ」
 声を出して笑うと、恭介は意外なものでも見るかのように驚いた様子で俺を見た。
「お前が声を上げて笑うなんて、明日は雪だな」
「馬鹿な事言ってないで、早く春香さんのところへ戻れよ。じゃあ、お休み」
 俺は早く会話を終わらせると、バーの前で恭介と別れ、まっすぐ部屋に戻った。
 ベッドルームのドアをそっと開けると、綾乃は赤子のように身体を丸めて眠っていた。
 その寝顔はとても穏やかだ。
 彼女が愛おしくてたまらない。
 本人には聞こえていないとわかっていても、口にせずにはいられない。
「愛してる」
 耳元で囁き、彼女の頬にそっと口付ける。
 今日も明日も明後日も、俺は最愛の人に囁き続ける。
 それが、俺の日常。


 
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