シンデレラは夜も眠れず
「九条さん、どうぞ」
 あんなに聞きたかった彼女の声。
 扉の向こうには美樹がいる。
 ガラガラっと扉を開けて中に入ると、彼女が白衣を着て座っていた。
「どうされました?」
 他の患者のデータをパソコンに打ち込んでいて、彼女はまだ俺に気づかない。
 九条という名にもピンときていないようだ。
 まあ、それもそうか。
 京都まで僕が会いに来るなんて思ってもいないだろう。
「胸が痛いんです」
 僕がそう告げると、やっと彼女は僕の方を見た。
 クールな彼女が目を丸くしている。
 この表情を見ることが出来ただけでも、京都に来た甲斐があった。
「何しに来たの?」 
 彼女の声は冷たい。
「胸が痛くて。美樹じゃないと治せないんだよね」
「見たところ血色も良さそうだし、内科的には問題ないと思います。心療内科に行かれてはどうですか?」
 素っ気なく彼女にそう言われ、内心ちょっと傷ついた。
 あの夜の事をなかった事にしようとしている。
「ここの心療内科の先生にあの美樹との夜の事話してもいいの?」
 意地悪く彼女に問いかける。
 卑怯だとは思ったが、せっかくここまで来たんだ。手段は選ばない。
「ちょっと……‼」
 美樹が絶句する。
 だが、彼女はすぐに気を取り直すと、近くにいた看護師を呼んだ。
「次の患者さん呼んで」
「おいおい、まだ話は終わってない」
「一晩の約束だったでしょう。お帰り下さい。京都まで来なくても東京に女は一杯いるでしょう?」
 胸を突き刺すような冷たい言葉。
 次の患者が入ってきて、がっくりと肩を落としながら東京へ戻る。
 京都滞在時間は約1時間だった。
 社に戻ると、僕の秘書が仁王立ちで待ち構えていてかなり怒られた。
 だが、そんな事で諦めはしない。
 次の週も、そのまた次の週も東京で人気のスイーツをもって京都に行った。
 看護師はスイーツで買収出来たが、彼女は相変わらず素っ気ない。
 京都滞在時間1時間の日が続く。
 ついには、僕の秘書も時間を作るので予め教えて下さいと溜め息交じりに言った。
 何度目だろう?
 今日も看護師にスイーツを渡して、彼女のいる診察室に入る。
 だが、他の男性医師と話していた。
 僕に気づかず彼女の事を美樹と呼んでいてかなりムカついた。
 そして何より、彼女が哀しそうな目をしてるのが気になる。
 男性医師がいなくなると、彼女の肩をつかんで問い質した。
「さっきの元カレか何か?」
「察しが良いのね。元婚約者よ。でも、大病院の院長の娘と結婚するからって破談になったの。男なんてみんなそう。綾乃が結婚した日、彼も結婚したわ」
 彼女は哀しそうに笑う。
 だから、彼女はあの日僕に抱かれたのか。
「まだあの男に未練ある?」 
「まさか。自分のプライドが傷ついただけ。それより、あなたうちの看護婦買収してるでしょう?今日はスイーツ王子は来ないんですかって毎日聞かれるのよ」
「スイーツ王子。なかなか上手いネーミングだね。じゃあ、美樹はどうやって買収しようか?」
 美樹の耳元で甘く囁き、彼女の唇にそっとキスを落とす。
 拒絶されるかと思ったが、彼女は素直にキスに応えた。
「続きをして欲しかったら、今度は美樹が東京においで。美味しい食事作ってあげる」
 悪戯っぽく笑って、ポケットに入れておいた自宅の鍵を彼女に握らせる。
「九条さ……!」
 彼女の唇に人差し指を当てる。
「司だよ。あの夜みたいに呼んで。あんな男、忘れさせてあげるよ」
「大した自信ね」 
「これでも九条の人間だから」
 フッと微笑すると、彼女も笑った。
 それからいつものように東京に戻ったが、次の週からは京都に行かない事にした。
 待つことも必要。
 寝食を忘れるくらい仕事に没頭していたら、ある日廊下で倒れた。
 運ばれた先は九条系列の病院。
 気がつくとベッドで寝ていて腕には点滴。
「何倒れてるのよ。情けないわね。ただの疲労と栄養失調。点滴が終わったら帰っていいわ」
 聞きたかった彼女の声。
 幻聴か?
 ハッとしてドアの方に目をやると、そこには彼女がいた。
 美樹……。嘘だろ?
 夢でも見ているのだろうか?
 幻影かと思って目をバチバチしていると、彼女がクスクスと声を出して笑った。
「健留さんがこの病院を紹介してくれて、今日赴任してきたの。タイミングいいわね」
「健留が?」
「あなたの秘書から、健留さんにあなたが仕事に没頭し過ぎるからどうにかしてくれって連絡がいったみたい。そして、最終的に私に連絡が来たわけ」
「はは。悪い」
 健留の奴め。
 内緒でこんなことするなんて……嬉しすぎる。
「過労死したくないなら、今日は帰ってぐっすり休みなさい。私も仕事が終わったら様子を見に行くわ」
 そう言って、彼女は白衣のポケットに手を入れると、何かをつかんでそれを掲げて見せる。
 ……あの時彼女に渡した鍵。
 これは、大きな一歩。
 健留の口添えがあったとはいえ、彼女が来てくれたのは嬉しい。
「じゃあ、添い寝で看病して」
 調子に乗ってそう言うと、彼女に頭を軽くはたかれた。
「病人は大人しく寝てなさい」
「ああ、美樹に会えるならずっと入院しようかな?」
「あの日の続き出来なくて良いのね?」
 彼女が悪戯っぽく笑って僕をからかう。
 この笑顔を自分だけのものにしたい。
 他の奴には譲れない。
 ああ、これが独占欲ってやつか。
「とうとう年貢の納め時か」
 ポツリと呟く。
 自分がそうなるとは思ってなかった。
 でも、観念したというよりは、自分から進んで捕まったような……。
「何ぶつぶつ言ってるの?いい?いい子で待ってなさいよ」
 なんかすでに尻に敷かれてるような気がするのは気のせいだろうか?
 考え込んでる僕の唇に、彼女は優しく口づける。
「え?」
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