ロンリーハーツ
成り行きでおつき合い?
シャワーを浴び終えた私は、藍前がいるダイニングキッチンの方へと歩いて行った。
藍前は、アイランドキッチンのカウンター越しに立ち、液が入ったボウルを持って、シャカシャカ混ぜている。

「早かったですね」
「体洗っただけだからね。家帰ったらお風呂入る」と私は言いながら、ダイニングチェアに座った。

藍前が良く見える、3年前と同じ場所に。


慣れた手つきだ。
藍前(こいつ)、料理できる。

それから私は、ダイニングキッチンの周囲を、キョロキョロと見渡した。

料理だけじゃなくて、掃除もできてるし、家の中はきれいに片づいてる。
これだといつ誰が来ても熱烈歓迎だよね。




藍前が作ってくれたフレンチトーストは、3年前同様、とてもおいしかった。

「おいしいですか?」
「うんっ」

藍前は左手で頬杖をついて私を見ていた。
銀縁メガネの向こうにある目は、ニコニコ笑顔で細められている。

何か、藍前の笑顔見ると、私まで嬉しくなる。
そう認めるのは何となく癪だと思った私は、「なによ」とぶっきらぼうに言った。

「新城先生って、痩せの大食いタイプですよね」
「おいしいものを適量に食べるタイプと言いなさい」と私が言うと、藍前はハハハと笑った。

「なるほど・・・。とにかく、新城先生ってすごくおいしそうに食べてくれるから、僕も作り甲斐があります」
「あんたの彼女はそうじゃないわけ?」
「あー・・・・・・まぁ、時には」

言葉を濁して苦笑を浮かべる藍前を見て、私は「しまった」と思った。
ほんの30分ほど前に「あんたの精子を提供して」と頼んだ相手に、彼女のネタをふるのはフェアじゃない。

「ごめん」
「・・・いえ。あの、新城先生」
「なに」
「さっきのことだけど」

きたっ!
思わず挑むような上目づかいで、ハンサムな藍前の顔を睨み見た。

「相手が僕でもそうじゃなくても、とにかく・・・もしそれで妊娠したら、新城先生はそれからどうするつもりなんですか?」
「どうって・・・まだはっきり決めてない・・・」
「それで僕にあんな頼み事してきたんですか!」
「いいじゃないの!大体、精子がなきゃ私は妊娠することすらできないんだから、これは第一ステップと言えるでしょ!それに私はあんたにしか頼んでないし、あんた以外の男に頼むつもりはない!・・・今のところは」

私たちはテーブルを挟んで、お互い睨み合っていた。
最初に深ーいため息をついたのは、もちろん藍前だった。

「ねえ、ちとせさん」
「なによっ」
「いろいろな順序が逆でしょう?」
「どこが」
「たとえばその・・・結婚する、とか・・・」
「はあ?結婚なんてしないわよ」
「じゃあ子どもは・・・」
「私が育てるに決まってるでしょ。当然仕事量は減らすわよ。何だったら医者辞めてもいい。いっそのこと田舎に引っ越そうかな。自然が多くて空気がおいしいところで、のびのびと育てたいし」

藍前は唖然とした顔で私を見ると、両手で頭を抱えた。

「なんかもう、順序逆っていうより、滅茶苦茶だ・・・念のために聞くけど。ちとせさん、相手に子どものこと言うつもりあるんですか?」
「そりゃあるわよ。子どもには父親のこと聞かれたら、答えたいと思ってるし。そうなるとやっぱ見知った相手の方がいいじゃない?でも言うだけだから安心して。育児に協力してもらおうとか、子どもや私に関わらせようとか全然思ってないから」
「・・・それで“精子を提供して”なんだ」
「うん。あ、もしかして報酬が必要?」

双子の兄は超人気ロックバンドのギタリストで、両親は会社の経営してて、親戚は政治家揃いの藍前(こいつ)は、医者の家系及び病院経営をしている私(うち)同様、お金には困っていないビリオネアだから、報酬のことまで考えてなかったけど、大事な精子を提供してもらうんだから、対価を払うことは必要よね。
相手によって求めてくる額は違うだろうけど・・・。

「・・・だ」
「は?」
「僕は嫌だ!」

顔を上げて叫ぶようにそう言った藍前は、真剣な面持ちだった。
こんなにマジなオーラ出してる藍前・・・初めて見たかも。

「自分に子どもがいると分かっていながら、その子に全然関われないなんて・・・僕はそんなことしたくないです。それに僕は、彼女がいながら他の女性に“精子を提供”したくない。仮に僕以外の男がちとせさんの相手になってしまったとしても、そいつにも僕と同じモラルがあってほしいです」
「そりゃ・・・既婚者とか婚約済者とか彼女がいる男は、最初から外してるわよ。あんたのことはその・・・噂でしか知らなかったし。どっちにしても、ラブラブとは程遠い関係だと思ってたから・・・」

藍前を怒らせてしまった。
自責の念に駆られてしまう。
こうなるんだったら、こいつに頼まなきゃよかった。
でも・・・それでも子どもの父親は、藍前以外考えられない。

不覚にも泣きそうになってしまった私は、咄嗟にうつむいた。

「ごめ・・・」
「まずはお互いのことを知ることから始めませんか」
「・・・・・・え」

思わず顔を上げると、藍前のニッコリ笑顔が見えた。
それだけで私の頭の中を占めていた自責の念が、どこかへぶっ飛んでくれた。
こいつを怒らせなくて・・・よかった。

「子どものことは、それから考えましょう」
「で、でもあんた、彼女・・・宮本以外にもいるんじゃないの?」
「いませんよっ!まったく・・・僕は複数の女性とつき合えるほど器用じゃないし、そこまで絶倫でもないです!」
「でも宮本(カノジョ)いるのに私としたじゃない」と私が言うと、藍前はグッと言葉を詰まらせた。

「そ・・彼女とは、先週初めてそこまで進展して・・・だからそれ以来ご無沙汰でした!それに、宮本さんとは別れるしかないでしょ」
「あっちに本命いるから?」
「うん」
「宮本本人に確認してないのに、私が言うこと信じるの?」
「・・・残念ながら」

渋々認めてやるといった風の藍前の顔がおかしくて、悪いとは思いつつ、ついクスクス笑ってしまった。
でも、藍前も一緒に笑っていたので、あいつも気にしてないんだろう。
ホッとした。


「ちとせさん」
「はいー?」
「そういうわけだから、他の男に“精子提供して”って頼むのはダメですよ」
「え?ああそりゃー・・・うん、分かったけど、“そういうわけ”ってどういうわけ?」と私が聞くと、藍前はまた唖然とした顔で私を見た。

「・・・つき合うんでしょ、僕たち」
「・・・なんでそーなるの」

分からん、こいつの思考回路が。

「“お互いのことをもっと知る”って、そういうことでしょ!」
「えーっ!そーなのー?」
「・・・少なくとも僕は、そのつもりで言ったんだけど」
「で、でもあんたのこと、10年近く前から知ってんのにさー、なんか今更って感じがしな・・・」
「じゃあ精子の提供はしません」
「な・・・」
「絶対に。ここは僕、譲れないよ」

ぐ。
藍前がこういう顔してるときは、絶対考えを曲げないと私は知っている。
こいつ、意外と頑固だし。

ぐぐぐ・・・・・・困った。
今のところ、藍前以上に好条件の男はいないし、今後見つかる当てもない。

今度は私が渋々認めてやるといった顔をして、「分かった」とつぶやいた。














「上がってく?」
「いえ、結構です。たぶん一杯ごちそうになる前に、片づけすることになりそうだから」

・・・今まで一度もうちに来たことないくせに。
よく分かってるじゃないの。

うちの中が「少々」散らかってると見透かされたことは癪だけど、藍前が先読みして断ってくれたことに、ひとまず感謝しよう。
じゃなきゃ、こいつをまたこき使うハメになってたから。

私はいたって平静なフリをしつつ、「あらそ」と言った。
隣をチラ見すると、藍前は笑いをこらえている。

ばれてる。やっぱり癪だ。

「じゃ。送ってくれてありがと」
「どういたしまして」
「あ。藍前」
「はい?」
「家に着いたら私に連絡しなさいよ」
「・・・なんで」
「無事に着いたかどうか気になるからに決まってるじゃないの。こういうの、彼と彼女の関係ならする・・・もんでしょ」

じーっと藍前に見られたせいか、最後は自信なさげな口調になってしまった。

藍前に家まで送ってもらったのは、今日が二度目で、3年前の初回は、そんなこと言わなかったし。
ちょっと彼女ヅラしすぎたかな・・・しまった。

内心狼狽えてる私に、藍前はいつもの口調で「メールします」と言った。

「あ・・・・・・うん」
「じゃ、今からスーパー行ってきます」
「あぁうん。行ってらっしゃい」

藍前の車が見えなくなると、私はマンションのエントランスへ入っていった。

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