砂の国のオアシス

「おはようございます、ナギサ様っ!」
「おはようございます、ヒルダさん」

ヒルダさんって朝からテンション高いなぁ。
ひとりでいるときもこんな感じなのかな。
と思ったらちょっと笑いがこみ上げてきたので、慌てて真顔に戻す。

「今日も良いお天気でございますよ」とヒルダさんは言いながら、カーテンを開けてくれたり、私の朝食の準備をしてくれたり、ベッドシーツを交換したりと、テキパキ体を動かしている。
一人暮らしをしていたとき、シーツは週に一度洗ってたから、毎日換えなくてもいいんじゃないかなーと思うんだけど、「カイル様のご意向ですので、はい」と言われちゃあ、「そうですか」と言うしかない。


「さてナギサ様。本日は町へお出かけになられますか?ワタクシ、カイル様より現金をお預かりしておりますが」
「あ・・・あ、ううん。今日はいいです」

今日は、町へ出かけるより、王宮の庭を散策したい気分だ。
それに明日はカイルと出かけることになってるけど、必要なものはヒルダさんがそろえてくれるみたいだから、私が調達する必要はなさそうだし。

「然様でございますか。ではこちらをお渡ししておきますね」とヒルダさんは言うと、ポケットから小さくて四角いものを取り出して、それを私に渡した。

「これは・・・」
「電話(フォン)でございます」
「あ、やっぱり?」

見た目は私が持ってるスマホとほぼ同じ。
でもフォンは、スマホよりも少し薄くて軽くて、一回りほど小さめだ。
「こちらのフォンは、民俗衣装のポケットに入れてもラインが響かないデザインとなっておりまして、イシュタールの女性に大変人気のあるシリーズでございます、はい」
「あ・・・あ、そうなんだ」
「カイル様がお選びになる際、ワタクシとジェイドに意見を聞かれたのでございますよ。ワタクシどもは、先に申し上げた理由で、こちらを一押しさせていただきました、はいっ」
「ありがとう(ゴライブ)」
「使い方は、まずこのボタンを押されて・・・」

ヒルダさんからフォンの使い方を教えてもらった限り、使い方はスマホや携帯と大方同じだ。
ただ、私のフォンにはヒルダさんの番号しか登録されていない。
それに、ヒルダさんの番号や、イシュタールで使われている「電話番号」すら、私は知らない。
王宮にも電話番号があるのかな。
カイルもフォンを持ってるのかな。
国王(リ)専用の電話番号とかあるのかな。
あれこれ疑問はあるけど、とりあえず今は、ヒルダさんとコミュニケーションが取れるツールをもらったことは非常にありがたい。
万が一町ではぐれてしまっても、これがあればヒルダさんと連絡が取れるってことだし。

「ナギサ様。お昼はいつものお時間にお部屋にお持ちしても、よろしゅうございますか?」
「はい、おねがいします」
「明日はカイル様とお出かけとのことですが、何か特別御入用なものはございましょうか」
「うーん・・・別にないかなぁ。あ、パスポートは」
「必要ございません。行き先は国内でございますので、はい」

ヒルダさんが含んだ言い方をした、ということは、ハッキリした行き先は、まだ私に言うなとカイルは言ったのかな。
でもまぁ、イシュタールの国内だってことは分かったから・・・いいか。


「では、何か御用の際は、フォンを御使いくださいませ。ワタクシ、いつでも飛んで参りますっ!」

ヒルダさんなら本当に飛んできそうだと思った私は、ププッと笑いながら「ありがと」と言った。

「それではナギサ様。今日も良い一日をお過ごしくださいませ」
「ありがとう。ヒルダさんもね」






それから私は王宮の庭をゆっくり歩いた。
丹念にお世話されたお花たちが、色とりどりに行儀良く、でも元気に咲いている。
植物は大好きってわけじゃないけど、色や形を見ると、あっちの世界と同じだなぁと思えて安心する。

あ。爽やかでスッとする香りが風に運ばれてきた。
何だろう、これ。

香りの元へ歩くと、そこにはローズマリーがあった。
すみれ色と白の小さな花を見て、思わず笑顔になる。

このすみれ色は、カイルの瞳と同じ色だ。
キレイ・・・。

私は屈んで、ローズマリーの葉に少し触れた。
軽くこすると、指にローズマリーの香りが移る。
イギリスに住んでいた頃、庭にローズマリーを植えていたことを、ふと思い出した。

ローストポークを焼くとき、お母さんはいつも庭のローズマリーを少し切って使ってた。
懐かしいな。
でも今は、泣きたくなるほどホームシックにはなってない。
この世界に慣れてきたってことかな。
それともカイルがいるから・・・。

そのとき、植物の向こう側に、誰かが歩いている姿が見えた。
あれは・・・カイル?

お辞儀しないと!と思ったのは一瞬だけだった。
というのも、カイルとカイルの隣を歩いている美人さんは、私のことに気づいてない上に、私がいる方向へ歩いてこなかったから。

二人はとても仲が良さそうだ。
ジェイドさんと一緒にいたときとはまた違う・・・もっと真実味があるって感じの親密さを感じるのは、カイルがその美人さんと腕を組んで歩いているからかな。

少し出ている美人さんのおなかを、カイルが愛しげになでたから・・・かな。

この場にいちゃいけない、そして見ちゃいけないと思った私は、近くにあった大きな樹に、もたれるように立っていた。

二人の笑顔が脳裏に焼きついて離れない。
カイルはあんな笑顔を私に見せてくれたことはない。
あの美人さんは、妊婦さんのようだった。
と思った私はハッとした。

あの美人さんのおなかには、カイルの赤ちゃんがいるんじゃない?
てことは、あの美人さんはカイルの・・・奥さん?
明日私に会わせたい人って、もしかしてあの美人さんとか・・・。
愛人(私)を妻(美人さん)に紹介するカイル、という図式が、鮮明なビジョンとして目の前に視えてしまった私は、額に手を当てた。

頭が重くてクラクラする・・・。

今更だけど、私はカイルのことを何も知らない。
結婚してるのかすら・・・。
でも、仮にカイルが結婚していても、国王(リ)は重婚できるというから、そういうの関係なく私を手元に置いてるの?

美人さんがいながら、カイルは私を抱いたの?
あ。もしかしたら美人さんが妊娠中だから、性欲発散させるために私を・・・。
と思ったら気分が悪くなって、私はその場にしゃがみ込んだ。

仮にカイルはまだ結婚していなくても、子どもが生まれるんだ。
そのうち美人さんと結婚するかもしれない。
イシュタールでの「結婚」という形がどういうものなのか、あの美人さんが王宮に住んでいるのかどうかも、私は知らない。

やっぱり私って、この世界に属してない。
異世界から来た、役に立たないよそ者だ・・・。

とにかく、ここにはもういられない。
王宮を出よう。
カイルから離れないと・・・。






部屋に戻った私は、市場で買った服に着替えた。
そしてバッグの中に、パスポートとIDカード、そしてクレジットカードを入れると、部屋を出た。

この3点セットがあれば、王宮以外のどこでも・・・イシュタールの国内でも国外でも暮らすことができるはずだ。
今手持ちの現金がないから、カードでお金を引き出して・・・後でカイルに返そう。
住所とか口座番号とかわかんないし、コンピューターで検索しても、それは見つからないよね。
だったら「イシュタール王国 リ・コスイレ(国王様)」宛の手紙を送ればいいか。
・・・こっちの世界に書留ってあるのかな。
ってそれより今は、ここから出ることを優先して考えないと!





私は誰にも見られることなく王宮を出ると、町に向かって歩き始めた。
王宮から町までは、今まで車でしか行ったことがない。
でも幸い、いつも同じ道を通ったので、道は覚えている。
バスラインはこの辺りには通ってないみたいだ。
じゃあやっぱり大学へ行くことになったら、王宮から通うのは不便じゃないの。
テオは王宮から大学へ通ってるみたいだけど、車持ってるし。
でも、いつもテオに送ってもらうわけにはいかないし。
そんなことをカイルが許可するとは思えない・・・。

もうカイルのことを考えるのはやめようと言い聞かせながら、私はひたすら前を見て歩いた。


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