冬夏恋語り

2, 妻訪婚における一考察



教壇に立ち、講義室を見回すと、それまでざわついていた室内が、波が広がるように静かになった。

今日はいつになく出席者が多い、全員出席に近いのではないか。

最前列は男子学生で埋まり、早くも熱意のこもった顔が向けられている。


今日のテーマは 『妻訪婚における一考察』 

学生たちは、「妻訪婚」 の意味はそれなりに理解しているようだ。

明るい太陽のもとで、人目も気にせず手をつないでデートすることに何ら抵抗のない彼らに、『妻訪婚』 の背景がどこまで理解できるのかわからないが、特別興味をもってくれていることは、出席者の数をみてもわかるというもの。

もっとも、資料にも載せた 「歴史に見る、農村部における男女交際」 「口伝に聞く夜這い」 などの文字に引き寄せられてきたのも確かだろう。



「今日は満員御礼だね。君たちが、昔の婚姻に興味があるとは知らなかった」



階段教室に低くこもった笑い声が広がり、女子学生は男子の笑い声に眉を寄せている。



「配った資料をもとに進めていきます。そうだ、先に言っておこうかな。

男性優位の時代の話だから、女性蔑視の表現もあります。

しかし、女性を蔑んだり、貶めたりするつもりで発言しているのではありません。

あくまで過去の風習や習慣ということで聞いてください。

それでも不快と感じたときは、途中退出もかまいません。

講義も出席扱いにします。では、はじめます」



毎回このように事前に断りを入れるが、これまで途中退出した学生はいない。

世間でも密やかに語り伝えられてきたことを、大学の講義でおおっぴらに語ろうというのだから興味がないわけがない。

昨年まで過疎地域に住み込み、老人たちから話を聞きとる作業をつづけてきた。

さまざまな伝承を記録してきたが、中でも、男女間の体験談を語る老人の口からインパクトのある単語が飛び出したときは、かなり衝撃を受けたものだ。

そのとき自分が受けた衝撃を、学生たちに伝えたいと思っているのだが、上手くつたわるだろうか。

ネットや携帯電話に慣れた若い彼らに、「昔の男女交際」 を理解させるのは難しい。

暗闇の中をしのんで愛しい人に会いに行く男の気持ちがわかるだろうか、待つだけの女の心持ちに寄り添えるのか……

ホワイトボードに 『妻訪婚』 と大きく書いた。



「さいほうこん つまどいこん とも言います。

婚姻の形態のひとつで、夫が妻の家へ通う形式です」



最前列中央に陣取った男子が、さっそく手をあげた。



「婿入りと同じですか」


「男が女性側にいくという点では同じですが、財産や親権においては同じではありません。

というのも、男は複数の妻を持てたため、あちこちに通っていました。

一夫多妻が一般的だった頃の習慣です。

妻訪婚の背景には、男はそれなりの年齢に達すると、暗闇のなか、女性の家へ赴く風習がありました」



おぉ……と、男子から感嘆符がついたような声があがる。



「わかりやすいところで、君たちも高校で習った、源氏物語。

光源氏のように、男は女性の元にせっせと通っていた。

女性に離縁を言い出す権限はなく、男の情がなくなれば通わなくなり、そこで縁が切れる。

子どもがいる場合は、女のもとで育てられ、費用も一切女親持ち。

一夫多妻だから、現代とは大きく異なるね」



女子学生が、あからさまに不快な表情を見せた。

だから、昔の話だと断っただろうと胸でつぶやき、先を進めた。



「とはいえ、貴族の婚姻には決まり事も多く、面倒だったそうだ。

それに引きかえ、市井の人々の婚姻や恋愛はかなり自由だった。

ここからが、今日の本題だ。君たちがもっとも知りたい部分じゃないのかな」



俺の口調も次第にくだけてきて、学生と話すように語りかける。

最前列の男子のひとりが、嬉しそうに声をあげた。



「本題は夜這いですね」


「先をいうな、さきを」



どっと笑い声があがったが、やはり女子学生は苦々しい顔だ。



「夜這いとは、呼ばう、が変化した言葉だと言われている。

女子には耳障りな言葉だと思うが、女子に有利な意外な事実もあったりするんだな、これが。

乱暴な言い方をすれば、今の時代より昔の方が、性に対しておおらかで奔放だったと言えるかもしれない」



えっ? まさか、と言うように疑問の顔が一斉に俺に向けられ、食いついたな……とひそかにほくそ笑む。

彼らの関心を集めることができれば、今日の講義は成功したようなものだ。

いいタイミングで 「夜這い」 の言葉がでて、それを引用するように話を進めていった。


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