人の気配がする。
すでに出勤してるのは、うちの部署だったのね。


――コンコン、ガチャ。


「おはようございます、姫野です。」

そう言ってドアを開き、お辞儀をしても反応は返ってこない。
頭を上げて正面を見れば、鳴海部長と…本条、朝日奈、堤課長の4人がすでに出勤している。そして彼らは、まさか私がこんなに早く来るとは思っていなかったのか…キョトンとしている。

「……あぁ。姫野さん、おはようございます。もう来たの?」

若干の間がありつつも、最初に反応をくれたのは鳴海部長だった。

「おはようございます、鳴海部長。…はい。本条課長にPCの初期化作業中のため、1時間ほど早く出社できるかと事前に相談があり、承諾済みです。」

「姫野さん。大丈夫ですか?…昴に無理強いさせられてるとか?パワハラ?パワハラ?まだ7時15分だし…。」

朝日奈課長が、冗談めかしてそんな風に言うから…笑ってしまう。

「コラ。(けい)、姫野さんが反応に困ってるだろ。……おはようございます。姫野さんの席は"ここ"…観月の席の隣です。……申し訳ない、いきなりこのノリで驚いたでしょう?…この4人、実は同じ大学の出身なんですよ。鳴海部長が1つ上の先輩で。…まぁ。でも、俺と鳴海部長は高校からの付き合いですけど。」

「この3人に、どれだけ『奢って下さい。』って言われたか…。」

それでも奢ってあげたんですね。さすが、お優しいです。鳴海部長。

「なるほど、そうことだったんですね。……朝日奈課長が冗談で言ってるのはちゃんと分かりましたよ…ふふっ。4人とも仲が良いんですね。…本条課長、まだ就業前ですし、普段どおりに話して下さい。ぎこちないです。それに私は今日から“あなたの部下の1人”ですよ。」

朝日奈(あさひな) (けい)さん…31歳。
〔開発営業部 営業第2課〕の課長である彼は、我が社のネットワークエンジニア。これはネットがスムーズに使えるよう調整する人のことで、社内はもちろん社外でも大きな役割を担う。銀行や病院の機器、電子カルテ等もコンピューター管理が進んでいるからだ。

“ネットワークの開拓者(パイオニア)”…彼はそう呼ばれている。

170cm半ばぐらい身長はありそうで、ミルクチョコレート色のノーブルショートヘアは清潔感があり爽やかで"堅すぎない”印象を与える。卵型の顔で鼻が高く、目や口の形も整っているから、女性にモテまくっているのは言うまでもない。加えてアウトドアも好きらしく、〔営業部〕で毎年行くというバーベキューの準備等は率先して彼がやるのだと柚ちゃんが言っていた。

“ネットワークの開拓者(パイオニア)”はPCのネットワークだけでなく、"人脈"という名のネットワークも難なく繋いでしまうらしい。

「あぁ、悪い。じゃあ、喋りつつ作業始めるからPC起動して。ちょっと隣に座るな?…ところで伝えた時間より15分は早い出勤だが、無理はさせていないか?朝食は?」

「お気遣いありがとうございます、ちゃんと食べてきましたよ。むしろ"お気に入りのカフェ"で食べたのでちょっとリッチなくらいです。…それに、今日は車通勤なのでそれほど時間もかかりませんでしたし。」

私とそんな会話をしながらも、それなりの速さでカタカタとコマンド入力を正確にしている本条課長はやっぱり…只者じゃない、と思うオーラが出ている。

「そうか。しっかり食べられたなら、良かったよ。」

「…さっきから思ってたが、久々じゃないか?昴が女性に“素”で接してるなんて…。まぁ。でも、【連絡した時間より15分も早く出勤する】ってことを実践してる時点で…そうなるか。……それはそうと。相変わらず恐ろしいな、お前のブラインドタッチの正確さとタイピングの速度は…。……姫野さん、車通勤なんですね。」

意味深な発言をしたかと思えば自己完結し、話題を切り替えたのは(つつみ)(しゅう)さん…31歳。
〔開発営業部 営業第3課〕の課長である彼は、我が社のデータベースエンジニア。これはPCシステムの様々なデータベースを管理・調整する人のことで、我が社の顧客名簿や市場調査表などのデータの大元を作り作業の効率化を図りつつ、それらを管理するのが彼の役割である。

“データ管理の熟練者(エキスパート)”と呼ばれている彼は、データ系のトラブル対応が本当に早くて社員全員から頼られる存在だ。

朝日奈課長と同じぐらいの身長で黒髪のビジネスショートウルフヘアに…面長の顔立ち。
太いスクエアフレームの黒縁メガネが第一印象に残りやすく、"女性社員たちは近寄りがたいだろうな"と感じる雰囲気を放っている。でも私は気にならないし、むしろ“遊び人”よりは好感が持てる。

さっきの意味深発言…まぁ、何となく言いたいことは分かりますけどね。

「姫野さん、車種聞いても良い?」

「あなたと同じく〔アウディ〕…の、私は"S4"ですよ。鳴海部長。先日は紳士的な安全運転ありがとうございました。」

「えっ!?そうだったの?“アウディ仲間”だったんだね。…ね、(けい)。……いいえ。ドライバー冥利に尽きるよ、ありがとう。」

「そうみたいですね、鳴海先輩。嬉しいな、俺もちょっと興奮してます。…えっ、どこかまで姫野さん乗せたんですか?」

「それについては…またの機会に。」

鳴海部長は私の様子をチラッと(うかが)い、病院に送っていったことは伏せておいてくれた。

「じゃあ。あの"A4アバント"は、朝日奈課長の…だったんですね。」

「そうですね。キャンプとかバーベキューとか好きだから、荷物積めた方が良いんですよ。…それにしても。"A4"とか、"アバント"とか、正確な車種が出てくるあたり…姫野さん、結構車好きだったりします?」

「父の影響が大きいですね。父が昔から相当好きで。ドライブに連れていってもらっている間に、あえてマニュアルの免許取るくらいには私も好きになってました。母には『雅が女の子らしくなくなったら、あなたのせいよ?』って言われてたみたいですけど。……ドライブ好きですね。そういえば…。〔ボルボ〕と〔BMW〕のオーナーって…?」

「〔ボルボ〕は、俺のですよ。」

私の疑問にまず答えてくれたのは、堤課長だった。


――ということは、もしかして…?


「…さて、あとは初期化(リカバリー)が終わるのを待つだけだ。…ん?地下駐車場の〔メタリックネイビーのBM〕のことを言ってるなら俺の愛車だな。」

今日から私の直属の上司になる本条 昴(ほんじょう すばる)さんは、"憧れの〔BMW〕"の持ち主だった。

年齢は31歳。彼はこの〔開発営業部 営業第1課〕の課長であり、我が社のセキュリティーエンジニアでもある。PCを扱う上でセキュリティーというのはとても重要なものだ。

日常的に言えば、ネットサーフィンをしていてウィルスプログラムに感染することはしばしばある。それに加えて、我が社のようなPCや機械を動かすためのプログラムを開発し提供するIT関連の会社では、"スパイ行動"に()うこともある。
発売予定の商品の技術や情報が盗まれ、他社の製品として世に送り出されてしまったり…企業顧客を情報(ろう)えいによって奪われてしまうこともある。

これらを未然に防ぐためにセキュリティシステムの点検をしたり、事が起こってしまった際にはウィルスプログラムによるデータの破壊を阻止するためのプログラムを構築・PCに導入する。そして対処し、被害を最小限に抑えるのが彼の役割である。

……と、いうのは【表面的な情報】だ。

セキュリティプログラムの構築やハッキング作業が一番の得意分野というだけで、本条課長にかかれば【ネットワークの整備】も【データベースの作成・整備】も全ての作業は一通りできてしまう…という場面を私は実際に見ている。