男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方

「姫ちゃん。仕事、もう良いよ。着替えて出かける準備しておいで。」

鳴海常務からそう声を掛けられ、〔第二役員室〕の時計を見ると17時45分だった。

「…はい。では、しばしお時間をいただきますが…行って参ります。常務。」

「駐車場に居るから…。」

「はい。」

私は短く返事をした後、仕事を切り上げて〔第二役員室〕のハンガーラックに常備してあるワンピースの中から"鮮やかな赤色"を選び、秘書課専用の更衣室へ急ぐ。

私に"真っ赤"なんて似合わないし、好きじゃない…。
それでも、常務の好みに合わせた方が機嫌が良いから、今日は着るけど…。

今日はパーティーというわけではないし、食事するだけだからフォーマルドレスまで(かしこ)まった格好はしなくていいと思う。

うちの会社の重役秘書たちは、パーティーや取引先の重役との会食などが当日決まったとしても臨機応変に対応しなければならない時がある。
そのため、秘書課専用の更衣室や秘書課フロアの自分のロッカーに、フォーマルドレスやパーティードレス、ワンピースなどを常備するよう義務付けられている。

しかし、私に限ってはそれができない。


その理由は――。

過去に、美島さんの手によって私のドレスは切り刻まれていたことがあるから。

それで私の場合は、〔第二役員室〕に常備させてもらっている。


「よし…。誰も居ない。」

秘書課専用の更衣室の扉を少し開け、中の様子を(うかが)うと誰も居なかった。

"助かった~!"と思ったのは、美島さんたちがここを私の【イジメ場】にしているから。

私たち秘書は、一般社員が知らなくてもいい重役たちのスケジュールを把握し管理するから、一般社員用の更衣室とは別になっている。
また更衣室である事から男性社員が入ってくることもないし、監視カメラも無い。

つまり…。

「やめろ!」と体を張って守ってくれる男性も居なければ、嫌がらせの決定的瞬間を捉えた証拠も押さえられないから、助けを求めようにも求められないのだ。

美島さんたちが、【イジメ場】をここにした最大の理由は……それだと思う。

けれど、そんな状況の中で私の味方になってくれる人が居ないわけじゃない。

専務の第一秘書であり秘書課長も兼任して下さっている花森 叶(はなもり かなえ) 先輩と、同じく専務の第二秘書である泉 涼子(いずみ りょうこ)先輩…。

そして高校からの親友で同期の柚ちゃんの3人は、私の味方で居てくれる。

でも、複数を相手に4人だけで抵抗なんてできるはずもないから、病院送りになってしまうのだけれど…。

「あっ!いっけな~い、ゆっくり着替えすぎた!あと5分!メイク直さなきゃ!」

秘書たる者、人を待たせてはいけない。
私は手早く化粧直しを済ませ、急いで鳴海常務の待つ駐車場へ向かった。


「…常務、お待たせしてしまい申し訳ございません。」

「…来たね。おっ!今日は僕のお気に入りの"真っ赤"な色のワンピースか。…うん、相変わらず何でも似合うね、綺麗だよ。」

小走りで常務の元へ駆け寄ると、彼がいつものように服装を褒めてきた。

「いつもお褒めいただきありがとうございます、常務。」

とりあえずあまり感情が表に出ないように、淡々とビジネストークをこなすような口調でお礼を言う私。

彼にしてみれば、本気で言っているでしょうけど…
喜び、悲しみ、どちらの感情を出しても彼の前では厄介なだけだから。

「はは、相変わらずツレナイなぁ…。お世辞だと思ってるでしょ?今、僕が言ったこと。…まっ、それでこそ姫ちゃんだけどね。」

常務はそう言って、わざとらしく眉を下げた。

「…さぁ、それじゃあ行こう。…乗って。」

ほんの数秒前まで運転席側のドアに背中を預けていたのに、いつの間に助手席側まで移動してきたの?

さすがは“レディー・キラーの常務”。

いつもながら感心するわね…。

その行動の速さに、私は少々苦笑いしてしまった。

彼はまるで呼吸するかのように、ごく自然に助手席のドアを開けてくれた。

彼の愛車である、〔鮮やかな赤のメルセデス〕のドアを――。
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