男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方

18th Data あなたの誕生日に… ◆昴 side◆

本当に微かな違和感だから、他のメンバーは気づかないレベルだ。だが俺は、好きでよく聴いている曲だからこそ気になるのかもしれない。

"この曲"は、メロディアスに…ちょっと可愛げのある感じで弾く方が雰囲気には合っている。
【儚さ】や【憂い】が入っているのは…ちょっとミスマッチな気がする。

「…ん?何でもないよ、こっちの話。……はは、仲良いね。2人とも。やっぱり姉弟(きょうだい)だな。…僕は本条さんの気持ち分かるなー。男も女も【秘密にしておきたいこと】の1つや2つは絶対にあるから…。…さてと、アップルパイが焼き上がるまでちょっとお邪魔しようかな……。」

そう言葉にして、中瀬さんが向かったのは……なんと姫野さんのところだった。

そして姫野さんの左斜め後ろに立った彼は、目の前の鍵盤の2,3音を演奏の邪魔にならないように小さく叩いた。
するとそれに気づいた姫野さんも、曲とは関係の無い音を2,3音鳴らし…それを合図に中瀬さんが伴奏に加わる。

そうか、あの2,3音鳴らすのは演奏に加わっていいかを確認する合図だったんだ。

「あぁ、サウンドセラピーしに行ったのね。…そうだった、(りつ)くんの病院(ところ)はそれを"売り"にしてるんだった。」

「サウンドセラピー?」

俺がオウム返しすると、姉さんが詳細を教えてくれた。

「精神疾患の患者さんに向けて行われる、音を使った治療法よ。患者さんに【音楽】や【音】を聴かせてリラックスしてもらうことを目的に行うこともあれば、音で【感情】を表現してアウトプットさせることによって、患者さんの中にある【感情】を整理させたり発散させるものよ。…そうねぇ…あっ、あんたで言えばあれよ。『カメラを通せば被写体の声が聞こえてくる。』って言ってたやつ。」

「あー。なるほど。」

待てよ?…ということは、姫野さんの【感情の乱れ】が違和感の正体か?

「私たちには感じ取れない雅ちゃんの【感情】を(りつ)くんは感じ取ったのよ、きっと…。……そうそう、演奏者の喜怒哀楽に関しては奏士(そうし)くんも『何となく伝わってくる時もあるよ。』って言ってたから、分かる人には分かるのかもね。」

姉さん。悪い、俺も"感じ取った側"かもしれない。

「確かに、【音楽】も表現方法の一つだしな。それ関連の仕事に就いてる人間なら…当たり前に分かるのかもしれないな。」

俺と姉さんがそんな話をしている後ろでは、他のメンバーが「中瀬さんもピアノ弾けるのかよ。」とか何だかんだと騒いでいる。


……あっ、中瀬さんが伴奏に入ったら変わったな。
音が力強くなったな、迷いが無くなった感じだ。


そうか。中瀬さんは、やっぱり気づいたから連弾しにいったんだ。

そう理解しつつも、姫野さんと一緒に演奏しているのが自分じゃないことに…もどかしさを感じている俺がいる。

彼女相手に…急に距離を縮めるのは厳禁にもかかわらず、だ。


そして、演奏が終わると俺の時同様…拍手が起きる。その様子を見て一礼した姫野さんは中瀬さんと一緒にカウンターに戻ってきて、先ほどの宣言通り…俺の隣のカウンターチェアに静かに座った。

「ありがとう…姫野さん、良い演奏だった。」

「本条課長。ごめんなさい、(つたな)い演奏になってしまって…。課長が"私の好きな曲"を弾いて下さったので、【お返し】にと思ったんですけど…。ここ3年ぐらいは一度も弾けてなくて、ブランクが…。それに…気持ちが落ち着かないまま弾き始めてしまったので…。」

「いや……。本当にありがとう。"お返しだな"って分かったし、その気持ちが嬉しかったよ。……お世辞じゃなく、本当に良い演奏だった。」

「こちらこそ、ありがとうございます。」

恥ずかしそうに照れ笑いしながら、そう言う姫野さんを見て…何とも言えない気持ちになった。

"可愛い"、"綺麗だ"……どちらの言葉も当てはまりそうではあるが、どちらもピタリとはまる言葉ではなかった。

言い表す言葉が見つからないのだ、それぐらい美しい笑顔だった……。

「…ブランクを感じさせない演奏だったなー。楽譜無しであそこまで弾けるのは『さすが!』って感じだった。」

中瀬さんが俺に続いて姫野さんを褒めていたが、これ以上褒めると彼女が居た堪れなくなり…ここから逃げてしまいそうなので新たな話題を振り、方向性を変えてやった。

「そういえば、さっき…。姫野さん、ミステリー好きだって言ってなかったか?」

「あっ。はい、好きですね。…“九条 棗(くじょう なつめ)先生”とか、大好き…いえ、もう。敬愛してますね。」

おぉ、“九条さん”か…。ミステリーの愛読者には鉄板中の鉄板だよな。
界隈じゃ、“九条さん”知らない奴は【"にわか"のレッテル】を貼られるぐらいだからな。

「おぉ、"九条作品"な!分かる!伏線の張り方とか回収の仕方とか見事だよな!新作出る度買うし、今までの全作品あるんだが…全く飽きないんだよなー。」

「わぁ、課長もお好きでしたか!……分かります!我が家にも"九条作品"は、全作品あります!!あとは…“不知火(しらぬい) 陽史(ようじ)先生”とかも好きです。」

「おぉ!“不知火さん”ときたか!【王道】から【コア】なところまで読んでるな。…俺も2人とも好きな作家だ。」

「へぇー。“九条さん”と“不知火さん”か、いいね!……アップルパイ焼き上がりましたが、召し上がりますか?姫野さん。」

「頂けるのであれば…ぜひ。」

姫野さんからの返答を聞いた後、中瀬さんは鈴原と立花さんにも同じように尋ねていて、2人の「頂きます。」の声を俺は背中で聞いた。

そして、その返事を聞いた中瀬さんはアップルパイを取りに厨房へ行き、焼きたてのそれを俺たちの目の前で切り分ける。

何度かサクッ、サクッとパイ生地に入刀される音がしていて、隣に座る姫野さんはその音に食欲を刺激されているようだった。

「ごめんね、話の途中でアップルパイ取りに行って。はい、どうぞ。セッションが終わるまで、(つま)む程度だったでしょ。疲れただろうし、糖分もしっかり摂ってね。」

「いいえ。」

俺と姫野さんが同じタイミングでそう答えて、俺たち自身もお互いの顔を見合わせてクスッと笑った。
その後すぐに姫野さんは「お気遣いありがとうございます。美味しそう、頂きます。」と歓喜の声を上げる。

「おっ、息ピッタリ。ちょっと鈴原さんと立花さんの所にも運んできますね。」

中瀬さんは、「おっ、息ピッタリ。」と言って俺たちに悪戯好きの少年のような笑顔を見せたあと、鈴原たちの元へアップルパイを運んだ。

「…話を戻すようだけど、僕もミステリー好きだから読むんだよねー。本当に【王道】から【コア】までいけるね。“九条さん”なんかはベストセラー作家だからテレビも出るし、誰が聞いても知ってるような人だけど… “不知火さん”とか結構まだマイナーじゃない。何で知ったの?」

そう口を動かしつつも、刻んである野菜を少し深みのある皿に盛り付ける手は止まらない。

おぉ、中瀬さんも好きなのか。最高だな、居心地が良い…。

「はい、サラダね。…重たい物の方が良ければ肉でも魚でも用意するけど…。」
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