警備艇乗船前の電話

 密漁者の取調べは,ほかの部署の者に任せて,僕は翌日の11時にようやく対馬海保から逃れることができた。また,職員宿舎までの細い道をトボトボと歩きながら,「あの電話は誰だったんだろう。口ぶりからすると,親父みたいだったけど」と考えた。

 親父は僕が20歳のときに病死していたから,あり得ないなあ。じゃあ,栄子の父さんか?いやあ,元々俺のことは嫌いみたいで,結婚以来電話をもらったことはない。
 
 第一,おれの携帯は1年前に番号を変えたから,義父がこの番号を知っているはずがない。誰だろう。そして,なんで,「離婚しそうだ」と知っていたんだろう。

昨晩眠れなかったから,12時に職員宿舎に帰り着いて,買い置きのカップラーメンを食べてから,夕方までぐっすりと眠った。最近僕は不眠状態が続いていたから,久々の心地よい睡眠だった。目が覚めたとき,眠りが深かったから,爽快だった。電話のことが気になった。そして,「離婚はするな。」と言われた響きの強さが耳にこだました。

 「また,かかってくるのだろうか」

と訝しんだ。

 僕は,テレビのスイッチを入れて,島内放送を見始めた。
 対馬には,地元のニュースだけを流しているチャンネルがある。
「ええ,昨晩,対馬海上保安部が淺生湾で密漁船を捕まえました。捕まえた密漁者は8名で,アワビ淺生湾周辺の漁業者が養殖していたあわび,蠣などを密漁していた模様です。
「ええ,島内の交通事故は,最近1週間はゼロ件でした。
 一昨日,ケチ町でひき逃げ事故がありました。負傷者は,対馬中央病院に搬入されておりましたが,重体です。当初身元が分かっておりませんでしたが,所持品から氏名等が分かりました。負傷者は女性・・・」

と流していた。僕は,久しぶりにカレーを作ろうと,ジャガイモの皮を剥いていた。そして,栄子と暮らし初めて,初めてカレ-を作ったとき

「へええ,上手いんだ。タマネギの美味しいそうな匂いがしているわね。それに,ああそうなんだ,先にタマネギをニンニクで炒めると,香り高いカレーができるんだ。」
と褒めてくれたことを思い出していた。

「美味しい。メチャおいしいわよ」

と喜んでくれた。

 僕の口の中に,あのときのカレーの味が蘇ってきた。

「また,作れるかな,あのときと同じカレーが。。。」

 また,ニュースが聞こえてきた

「対馬中央病院に搬送されたのは,女性,32歳で福岡市に住所がある一谷栄子さん。免許証から分かった身元ですが,なぜ対馬に来島していたのかなどは,いま対馬南警察署が関係者から事情聴取を行っています。次の・・」

 「ええ。。一谷栄子・・・?」

 「聞き間違いか?」
「僕の妻じゃないか?同姓同名か?」

 僕は,ジャガイモを捌く手を止めて,台所から急ぎ,テレビの前に座った。テレビの画面には,対馬中央病院が写っていた。搬入者の顔写真までは出ていなかった。僕はすぐに対馬南署に電話をかけた。
 
「もしもし,一谷と申します。ケーブルテレビで見たんですが,事故で対馬中央病院に搬入された女性のことですけど,もしかしたら,私の妻ではないかと思いまして・・・」

「ええ,その女性は一谷栄子さんですが,身元の確認のために,これから病院に行って下さい。そこで私と会いましょう,顔を見て奥さんかどうか確認して下さい。いや,こちらとしても困っていたんでよかったです。ああ,警部補の富永です,よろしく」
と中年の警察官が答えた。
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