「あの、文香さんはどうして猫を助けたりしたんですか?」


 サクラくんは、素朴な疑問を口にするように首を傾げる。


「どうしてって、どうして?」


 純粋な目で見つめられても、困ってしまう。

 そんな深い考えがあっての行動じゃなかったから、聞かれても理由なんて答えられない。
 だから私は、質問に質問で返してしまった。


「なんで、そんなことを聞くの?」


 聞き返した私に、サクラくんは仔猫みたいに目を真ん丸くする。
 暗がりの仔猫みたいな目に、私の姿が映ってる。

 歩みを止めて、私とサクラくんは見つめ合った。


「サクラくん……?」


 どこか異様な雰囲気に呑まれそうになって、私はサクラくんの名前を呼んだ。

 私の声にサクラくんは瞬きをして、それからふっとつぼみがほころぶように微笑む。

 なにかが吹っ切れたように、清々しく細められた目。
 これ以上ないほどに弧を描く唇。

 そのあまりに綺麗なその微笑みに、私は息をするのも忘れそうだった。


「そうですよね。どうしてって、どうしてでしょう。こんなこと尋ねるなんておかしいですよね」


 微笑んだサクラくんは、再び歩き出した。
 スキップでもしそうなほど軽い足取りで、弾んだ声で話す。

 私はそんなサクラくんを追い掛けて、遊歩道の終点へと走っていく。


「どうしてって聞かれることが不思議なほど、文音さんにとっては当然のことだったんですよね」


 私のカバンを持ったまま、サクラくんが遊歩道の終点に立つ。
 そこは、車道との十字路。

 サクラくんに追い付いた私も、十字路に向かって立ち止まる。
 車は来ていない。


「サクラくん……?」

「文香さんはただ声をかけただけで、それって本当に大したことじゃないんですよね。本当にどうってこともない、他愛もないことで……でも、それがあんなにも嬉しかったぁ」


 立ち止まったサクラくんは私を見て、さっきの笑みのまま瞳を潤ませる。


「文香さんが声をかけてくれなかったら、俺はどうなっていたかわからない。あそこで助かったとしても、どうせ長くは生きられない。だから、だからこそ……」


 笑みに細められていたはずの目が、危うさをまとっていく。
 私を射抜くその眼差しに、頭の中で警鐘が鳴る。


「これが運命なら、俺は俺の意思でそれを選ぶ。死の淵を覗き込むことさえ本望だ。幸福な未来でなら、きっとそれも素晴らしい過程になる」


 サクラくんは、いったいなにを言っているんだろう。
 奇妙な口上に呑まれて、私は目が逸らせないでいた。


「猫の目は、時に見えざる物を映すから。だから、俺はここに来た。この魔法がなんなのか聞かれても困るけど、おかげで俺は文香さんを助けられる。文香さんを助ける手を、未来をつかむ手を手に入れた」


 サクラくんが私のカバンを地面に下ろして、空いた手を見る。
 そして顔を上げて、その目に私に。


「俺が望んだことだから、文香さんは悔やんだりしないでください」


 にっこりと、私を安心させるように笑った。


「俺は、未来が欲しい」


 大切な物をそっと置くように、サクラくんがその言葉を口にする。


 瞬間――


 突風に、桜吹雪が巻き起こる。
 しゅるりと、襟元から何かが抜け出る感覚がした。

 見上げた先、桜の花弁と共に制服のリボンが風に舞い上がっていた。

 反射的に手が伸びて、足も一歩踏み出す。
 それでもリボンに手が届かなくて、もう一歩、もう一歩と……

 私は、十字路に飛び出していた。

 車道と交錯する道。
 そこに飛び出す危うさ。

 視界の端で、サクラくんが車道に飛び出す私を微笑みながら見送っている。

 そして、案の定。

 車の急ブレーキ音に驚いた先で、車の影を見た。
 目を見開いた運転手と目が合って、死ぬなと直感する。

 けど、その瞬間――誰かの手に強く背中を押された気がした。