「ごめんなさい。わたし、結構方向音痴で……」

その落ち着いた女性の声と、全く想像もしてなかった展開に、桃花は頭が真っ白になる。
桃花が久志の名を途中で飲み込んだのは、久志の後ろに連れの客がいたからだ。

女性の言葉など耳に入っていない久志は、ただただ驚きの眼差しを桃花に向ける。
桃花もまた、なにも言えないまま、久志と視線を交錯させていた。

(なんで……どういうこと?)

桃花が動揺するのも無理はない。
確かに、今日、久志と約束をしていた。しかし、約束の時間を過ぎても姿は見えず、連絡もつかずに肩を落としたばかり。

事故などのトラブルじゃなかったことは本当に安心したが、約束を破られたであろう理由が別の女性絡みとなると、当然穏やかではいられない。

桃花は例えようのない感情を抱きながら、目を揺るがせて久志を見つめていると、久志の陰に立っていた女性が一歩前に来て店内を見回した。

「わぁ。いい雰囲気のお店ですね」

そうして、にこりと笑顔を浮かべ、並んで立つ久志を見上げた。

「あ……い、いらっしゃいませ」

狼狽しながらも、桃花は仕事中ということを思い出して頭を下げる。
レジカウンターで立つ桃花を、久志はバツの悪い心地でちらりと見るが、すぐにメニューボードに視線を移した。

「あー、好きなの頼んでください。オレ出しますんで」
「えっ。いえ、そんな! 悪いです!」
「わざわざ来てもらったし、このくらいしか出来なくて申し訳ないですけど」

たった数十センチのレジ台を挟んでるだけの距離なのに、ものすごく遠く感じる。

(「わざわざ来て」……)

久志の言葉に引っ掛かってる間にも、客であるふたりは会話を重ねる。
オーダーが決まった雰囲気に気付いた桃花は、声を震わせないように気を付けながら口にした。

「ご注文は、お決まりですか?」

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