晴れた空、花がほころぶように
20 嫌な予感と不安
土曜日の夜、私はまた夜中に家を出た。
 最近は、慣れたものであっさりと抜け出し、神社へと向かう。
 いつもの角を曲がり、石段に向かうと、空良が待っていてくれる。
「空良」
 小さく呟いて駆け寄る。
「花音」
 空良が呼ぶ。
 それだけで、嬉しい。
 二人でゆっくり石段を上がると、小屋に入った。
 ヘッドフォンをつけて二人でピアノの練習をする。
「空良、ホントにうまくなったね」
「毎日練習したしな。勉強以外他にすることないし」
 空良はもう、両手で弾けるようになっていた。
 まだたどたどしい感はあったが、ピアノを始めて間もない空良の上達は驚くべきものだった。
 ヘッドフォンが一つしかないから、私達はすごく近くでピアノの前に座っている。
 ヘッドフォンを付けてる空良の耳元に耳を寄せ、私も音を確かめる。
 時折肩が触れて、服越しの空良の体温が嬉しい。
「花音、近い」
 呟く空良に、私は慌てて離れる。
「ごめん、邪魔だよね」
「いや。嬉しいけど、近すぎて集中できない。ピアノより、花音に触りたくなる」
 体温が、一気に上がったような気がする。
「――」
 何て答えればいいんだろう。
 ありがとう?
 触ってもいいよ?
 返答に困る私を、空良は弾くのをやめて見ていた。
「触っても、いい?」
 きっと私の顔は真っ赤だったろう。
 でも、頷いた。
 落とした視線の先で、空良がヘッドフォンを外すのがわかった。
 そうして、少しの距離を縮めて、空良が私をそっと抱きしめた。
 私は、嬉しさと恥ずかしさでいっぱいいっぱいだった。
「花音、いい匂いがする」
「――」
 どうしよう。
 何も答えられない。
 代わりに、抱きしめてくれる空良に、私のほうもしがみつく。
 表情は見えないけど、嫌がってないってわかってくれるよね。
 だって、優しく息を吐く音。
 空良が笑ってる。
 緊張してた体から力が抜ける。
 空良は温かい。
 沈黙さえも温かい。
 座り込んで抱き合ったまま、私と空良はしばらく互いの体温と鼓動を感じていた。



 優しい沈黙の後、ピアノを片付けて小屋を出る。
 神社の境内に出ると、星がとてもきれいに見える。
「寒くなってきたね」
「そろそろ上着が必要だな」
 手をつないだまま石段を降りると、私は幸せな気分のまま口を開いた。
「私、言ってみたの。両親に。音大に行きたいって」
「え?」
 驚いてこっちを見た空良の表情が暗がりでもわかった。
「親は、何て」
「――行ってもいいって。条件は、いろいろ出されたけど」

 本当に驚きだった。

 私が言い出した時、正直、二人とも困惑したような顔をしていた。
 でも、私はひかなかった。
 必死で説得した。
 高校ではアルバイトもして学費を少しでも貯めること、かといって成績を下げないこと、大学在学中はとれるだけの資格をとること、音大卒業後はきちんとピアノをいかした職業に就くこと。
 弟の進学もあるのに、私が先にお金を使ってしまうことを申し訳なく思ったけど、それでも、私も諦めたくなかった。
 両親が息を吐いていいよと言ってくれるまで、とても長く感じた。
「すごいな、花音は」
 空良が感心したように私を見る。
 そんなんじゃない。
 私がすごいとしたら、それは、空良に勇気をもらったから。
 空良と一緒に、諦めずに進んでいきたいと思ったからだ。
 家の前に着くと、空良は肩にかけた電子ピアノ入りのバッグを私に渡した。
「え?」
「持ってて。少しピアノは休む。俺も、ちゃんと話してみる」
「空良――」
「大学は無理でも、高校は行かせてもらえるよう頼むから」
 これは、空良の決意なんだ。
 諦めていた空良が、私と一緒にいてくれるっていう。
「がんばって。一緒の高校に行こう」
「うん。そうしたら、バイトして俺も高校の学費稼げるしな」
 いつものように空良は手を振って帰っていった。

 一緒の高校に通う。
 高校でなら、私達は二人とも隠れることなく一緒に過ごせる。

 そんな甘い夢を見る。
 でも、自分のことで精一杯だった私は気づかなかったのだ。
 私と空良の境遇は、私が思っている以上に違うのだということを。

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