私は9歳から14歳までの5年間を、アメリカで過ごした帰国子女だ。
女子大時代には、バイトでモデルをしていたこともあるし、全国区オンエアのCMにも出演したことがある。
英語を活かした仕事をしたかった私は、大学卒業後、英会話スクールに就職。
本当は海外特派員になりたくて、テレビ局を何社か受けたんだけど、見事に全社落ちたという経緯があるんだけど。

とにかく、英会話の先生をすること数年。
生徒として来ていた男性に熱烈アプローチを受けたのが、24歳の時だった。

私より1つ年上の彼の実家は、地方にある、割と大規模な病院を経営している。
立派な家柄、十分なお金持ち。
彼は162センチの私より10センチ以上背が高く、国立大大学院卒。
顔だって悪くない。
何より優しい性格で、私を好きだ、愛してると言ってくれるこの人は、私の王子様・・・。

なんて、そういう夢を見る主義じゃないけど、彼だったら私を幸せにしてくれると、当時24歳の私は、本気で思っていた。

だから私、三好なつきは、彼と知り合って半年後に結婚した。
「彼だったら私を幸せにしてくれる」という考え自体が間違っているとは分からずに。

芸能人みたいな「5億円挙式」とまではいかなかったけど、彼の実家と実家で経営している大病院がある、地方で行われた式と披露宴は、「盛大」という言葉がピッタリだった。
その時から私の心には、居心地の悪さというか、引っかかりと言うのか。
違和感みたいなしこりみたいなものが、すでに芽生えていたのかもしれない。
後で式に出席した私の方の親戚のおばちゃんから、「あの時から、いつ離婚するのかと思ってた」って言われたくらいだし・・・。

でも私はまだ、それに気がついていなかった。


幸せって何だろう。
最近何となく分かってきたような気がする。
でも雲をつかむような、曖昧で、ぼやけた感じでしか、いまだに分からない。
やっぱり私はまだまだ修行が足りないのか。

彼と結婚した私は、当然のことながら英会話スクールを辞めた。
そして彼の実家がある地方へ、拠点を移した。

大学生の頃から一人暮らしをしてきた私は、家事全般は一応できる方だと思う。
そして、大学生の頃からモデルのバイトをしていた芸能人もどきの私は、両親の仕送りも多少あったから、それなりのマンションに住んでたし、ちゃんと自活できていた。
たまにだけど、私が思う「贅沢」も、できていたと思う。

私が思う贅沢。
それは、気が向いたときに高級レストランで外食すること。
バイトや試験をがんばったご褒美に、大好きなブランド物のバッグを買うこと。
もちろん、それは滅多にできなかったけど!
それでも私は、ブランド物に限らず、バッグや靴は好き。
知り合いのメイクアップアーティストさんや、友だちのモデルさんや女優さんから、「これいいよ」と勧められたコスメグッズをそろえることも好き。
流行のファッションを知ることや取り入れることも大好き。
せっかく女子に生まれたんだからオシャレを楽しみたいし、身だしなみは整えておきたいと、純粋に思っているだけだ。

それに、ブランドバッグは、私の子どもが女の子だったら、その子に譲ることもできる。
もし男の子でも、その子のお嫁さんが使うことだってできるじゃない?


お金持ちの彼は、私が欲しいと言っていたブランド物のバッグを、ポンとプレゼントしてくれたこともあったけど、そのバッグは一度も使ったことがない。
バッグの雰囲気に気圧されるというか・・・当時20代前半(24歳だけど)の私がそんな高級品を持つのは、不相応に思えて。

『そんなこと言ってたら、なつきさんが使うのを通り越して、僕たちの子どもが使うことになるかもしれないよ』

と、冗談まじりな口調で彼が言ったっけ。
あの時私は何て答えたんだろう・・・思い出せないや。

でもそのとき、私に子どもがいると想像できなかったことは、今でも覚えてる。
ううん、彼と私、そして私たちの子どもがいる、そんな未来が想像できなかった、と言った方が正しいかな。


結婚したての頃は、新しい環境に慣れることに必死だったけど、2カ月も経てば、実家の大病院の跡継ぎである彼は毎日多忙で、専業主婦の私は毎日退屈、という現実が見えてしまったとでも言おうか。
家事を適当に済ませた後、時間つぶしに何して過ごそうかと考える日々が続いた。
のどかな風景が広がる地方(そこ)は、一昔前にできたような外観の、どでかいショッピングセンターが唯一の娯楽施設。
オシャレなカフェやレストランなんて、近所にも、どこにもない。

女子大時代から英会話スクールで先生をしていた頃まで、都会で自由気ままにひとりで暮らしていた私には、のどかな田舎での専業主婦ライフはギャップが大きすぎたのか。

私には刺激が足りないと思い始めるのに、時間はかからなかった。


私、自活していた頃みたいな暮らしが好きだったんだなぁと、やっと気がついた。
だけど、結婚してもうすぐ1年になる今となっては、時すでに遅し。
実家の大病院を継ぐ彼は、今その大病院に勤めている。
当然のことながら、生活の拠点を都会に移すという選択肢はない。

とにかく、この退屈な毎日を何とかしたくて、彼に仕事をしたいと言ってみた。
優しい彼は、私が言う大抵のことを聞いてくれる。
彼の実家のコネのおかげで、私は大病院の取引先の会社でアルバイトをさせてもらうことになった。

とは言っても、私の仕事はコピー、お茶くみ、たまにパソコンでの簡単な入力作業。
社外秘扱いみたいな重要な類は、決して任されない。
だからか、無理矢理私の場所を作ってもらったんだなと、すぐに分かった。
つまり私がいなくても、その会社にとってはどうでもいい、むしろいないほうがいい、みたいな・・・。

実際、週3日、一日5時間労働中、あてがわれた新品の事務椅子に座って、ボーっと外を眺めていることが多かったし。
しかも、それを咎める上司なんていなかった。
逆に「仕事が無くてごめんね」と部長さんから謝られたときには、自分の立場が痛々しくなったくらいだ。

お飾り的な自分の立場だったと思い知らされたこと。
そして私のことを「給料泥棒」とお局女子社員が言ってたのを偶然聞いたとき、さすがにショックを受けた私は、彼には悪いと思ったけど、そのアルバイトを2ヶ月で辞めた。

これならファーストフード店やファミレスでバイトした方が、よっぽど仕事してるって気がするんじゃないだろうか。
でも、そういう職種経験なしの25歳6カ月女には無理?
それより何より、そういう類のお店の数自体が、このエリアには限られているという現実があったんだった・・・。

コネで入った事務のバイトを辞めた私は、結局元の時間を持て余す暇な専業主婦ライフに逆戻りした。
でも正直言うと、会社ですることもなくボーっとしているより、一人でボーっとしている方が、かなり気楽だ。
ということに気がついた私って・・・終わっちゃった?

行き着いた自分の考えに、私は愕然としてしまった。


大学時代、バイトでモデル業をしていた私は、モデルや俳優、監督さんといった芸能人や、メイクアップアーティストやスタイリストをしている友人、知人がいる。
英会話スクールの先生を始めてから、その数は減ったけど、今でも友だちとして交流を続けている人たちも、もちろんいる。
光子さんもその一人だ。

モデル時代に仕事で知り合った光子さんは私より10年上で、超売れっ子メイクアップアーティストとして第一線で活躍している。
そんな光子さんと、久しぶりにスカイプで話しをし終えた私は、深いため息を一つついた。

本の出版、ファッション誌の掲載、メイクグッズやコスメのプロデュース。
さらに光子さんは、来年夏からニューヨークへ拠点を移すことに決めたそうだ。
そのために英語の勉強を復活させたいと思った光子さんは、私にスカイプで英会話を教えてと頼んできた。

芸能人もどきだった私は、芸能人や芸能関係の人たちに、英会話を教えていた。
モデル時代もそうだし、英会話スクールの会社は、副業オッケーだったこともあって、あっちで暮らしてた頃は、その人たちの都合に合わせて、自分が出張して教えることも多々あった。
「なつき、今から来れる?」「大丈夫ですー」が合言葉になってたあの頃が懐かしい。
それができない今は、時たまスカイプで教える程度になってしまって。

とにかく、さっき光子さんと来月会うことを半強制的に約束させられた。
光子さんと会うことは楽しみだ。
でも何というか・・・自分なりに華々しく活躍してると思っていたあの頃の私と、片田舎で時間を持て余す今の私は、あまりにも違いすぎる。
そして昔を知ってる光子さんにそのギャップを見られて痛々しいと同情されるかも、と思ったら、フェイス・トゥ・フェイスで会いたくないって気持ちもあった。

私、人嫌いになったのかな・・・。

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