恋をしようよ、愛し合おうぜ!
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金崎さんの紹介で請け負ったプロジェクト通訳のお仕事は、今日で4回目。
そして、いよいよ今日からクライアント社側を迎えて契約交渉が始まる。

クライアントのアメリカ本社と契約を結ぶため、相手の会社のアメリカ本社からスタッフがやって来る。
もちろんその人はアメリカ人なので、私が双方の通訳をすることになった、というわけだ。

相手側には通訳(私)を用意してると伝えているそうなので、あちらさんは、ある程度の英語と、この仕事内容が理解できる、東京支社のスタッフを連れて来ると思う。
無事契約を結ぶことができたら、相手側は東京支社のスタッフが後を引き継ぐことになる可能性が高いと野田さんが言ってたし。

ここに来るたび、毎回野田氏から何らかの「外見チェック」を受けていたので、今日の私は、シルクの白い長袖ブラウスに、黒の膝丈タイトスカート、肌色のストッキングに黒のパンプスという、至って無難なお仕事ファッションにまとめてみた。

ブラウスには細いリボンのボウタイつきで、袖は「ピタッ」というより「ふんわり」した感じ。
そしてパンプスにも、リボンモチーフがついている。
これは、野田さんの会社と相手の会社が無事契約を「結べる」ようにという、私なりの願掛けだ。

ネイルは、ピスタチオグリーンから、自爪の色に近いピンクに変えた。
髪はどうしようかと迷った挙句、結局いつもの巻き髪スタイルに落ち着いた。

全体的に大人しくまとめた甲斐あって、野田さんからは何一つ文句を言われなかった!
いくら野田氏でも、今日のファッションには文句のつけようはないよね。
と、心の中でちょっと得意気になる。
でも、これだけでホッとしている私って・・・まるで校則を従順に守っている女子高生になった気分だ。

いろいろな気持ちを交差させながら、私は野田さんと荒川くんと一緒に、クライアントを出迎えるため、下へ向かった。



アメリカ本社から来たのは、役員クラスの方だと聞いて、私は最初ビックリした。
でも・・・着ているスーツや靴といった外見。
目を見てしっかりと握手をする仕方。
人を和ませるスマイル。
そういったところから、それなりの役職に就いているオーラが醸し出されていると、すぐ納得した。

それでいてすごく気さくな人柄で、「私のことはトムと呼んでください」と、にこやかに(英語で)言われたおかげで、私を含めてみんな緊張が解れたと思う。
トムは日本語がほとんど分からない。
だけど相手に好印象を与えることが、とても上手い人だ。



この場の最年長であるトムが、和やかな雰囲気を作ってくれたおかげで、交渉は出だしから好調。
トムと、トムに同行して来たレンは、プロジェクトにとても興味を示してくれた。

レンの本名は「ロレンツォ」。
イタリア系のアメリカ人で、彼は東京支店のスタッフだ。
もうすぐ在日歴16年目になる35歳のレンは、日本語を流暢に話すことができる。

「内容がとてもシンプルにまとまってるね。御社の他にも数社から話は聞いたが、同じ内容でも御社のが一番分かりやすかったおかげで、スッと頭に入ったよ」とトムは言うと、自分の額を右手でポンポンと軽く叩いた。

その言葉を、私が野田さんと荒川くんに日本語で伝えると、二人は「ありがとうございます」と英語で言った。

「何より、御社はうちの理念を一番理解しているようだ。来週の水曜日、契約を結ぼう」とトムは言うと、野田さんに手を差し出した。

「おめでとう」
「このプロジェクトが、お互いにとって“おめでとう”になるよう、成功させます」と英語で言いきった野田さんは、トムの目を見て、しっかりと握手をした。

わぁ。できる男同士の握手してる姿って・・・めちゃくちゃカッコいい。
これはスマホの待ち受け画面にしたい!
仕事運上昇のお守りになりそう・・・なんて考えちゃった私って、実はミーハー?!

「シンゴ。君は良いこと言うね」
「自信ありますから」と野田さんがまた英語で言うと、トムはハッハッハッと豪快に笑った。

そしてトムは荒川くんとも握手をすると、今度はレンが野田さんと荒川くんと握手を交わした。

・・・こういう交渉の場にいたことは、今まで何度かあった。
それに、まだ本契約を交わしたわけでもないのに、みんながとても嬉しそうに笑ってる姿を見た私は、胸がじぃんとアツくなった。

泣きそうになるほど嬉しいと感激したのは初めてのことだと思いつつ、私もトムとレンと握手を交わした。


「なつきさんが事前に考えた質問が、ドンピシャで出たねー」
「素人目線から見て疑問に思ったことを挙げただけだよ。私は荒川くんたちとは違って、この分野は全然分からないことだらけじゃない?」
「でも俺、なつきさんのおかげで、この交渉は上手くいったと思うよ」
「そ・・かな。ありがとう」
「おまえ、何泣きそうな顔してんだよ」
「えっ」

不意にシトラスの香りが強くなったと思ったら、野田さんが目の前にいた。
髪をグシャグシャと撫でられたことと、この人にはバレてたことが、何となく恥ずかしい・・・。
私は上目づかいでチラッと野田さんを見ると、すぐ視線を逸らした。

「そんなこと・・ない、です」
「まぁいい。おまえも来るんだろ?」
「・・・はい?どこへ」
「このメンバーで今から晩メシ」
「あ・・・でも私・・・」
「荒川の言う通り、この場が上手くまとまったのは、おまえのおかげでもある。だから他に仕事が入ってないなら一緒に行こうぜ」と野田さんに言われた私は、断る理由もなかったので、「はい」と返事をした。


野田さんが初めて私を褒めてくれたことに、特別な意味はない。
だから特別な意味なんて持たせない。
と自分に言い聞かせていたのがいけなかったのか。
トムとの通訳はレンがするからいい、ということになったから、私は最初、荒川くんとしゃべりながら歩いていたのに、いつの間にか隣には、野田氏がいた。

あれもこれも、特別な意味なんてないんだから・・・。
と思っても、つい隣から熱を感じたり、シトラスの香りが野田さん風だとか考えちゃうのは、ヘンに意識し過ぎてる証拠だ。

そんな考えをふり切ってくれたのは、会社の前にデンと待機しているリムジンだった。

「こ、これは・・・」と言った荒川くんは、口をあんぐり開けたまま、豪華なリムジンを凝視して立ち止まっている。
立ち止まってるのは、私と野田さん、そしてレンも同様で。

隣をチラッと見ると、野田さんも驚いているようだ。
ということは、このリムジンは、野田さん側が用意したものじゃないってことか。

思ったとおり、トムはスタスタ歩くと、ドアを開けてくれてる運転手に親し気に話している。
そして慣れた様子で「キミたちも乗りなさい」と言うと、リムジンへ乗り込んだ。

「アシの準備はしなくていいって言われた理由がこれで分かったぜ」と野田さんは独り言ちると、レンにニヤッとして、リムジンの方へ歩き出した。

「わぅっ」

いつの間にか私の手を野田氏が握ってたから、私も引っ張られるようにつられて歩く。
「野田さんっ、手」と私が囁いても、野田さんは無視して歩く。
あぁ、レンと荒川くんに気づかれるの嫌ーっ!
と野田氏も思ってくれたんだろうか。
繋いでいる手を隠してくれてるのはありがたかった。

それはリムジンに乗るまでの、1分にも満たない僅かな移動の些細な出来事だったけど、私の鼓動を暫くの間、ドキドキと高鳴らせ続けた。



「これだったら全員乗れるだろう?移動も一度で済む」
「なるほど」

役員クラスの人が、仕事時、このくらいの距離で電車やバス使うことは、まずないだろう。
トムが電車で移動している姿なんて、イメージできないし。
だからと言ってリムジンを借りるのは、いかにも成功者が考えそうなことだ。
私も野田さん同様、トムの発想と発言に「なるほど」と感心しつつ、荒川くんみたく、ウンウンと頷いた。


晩ごはんは、トムが宿泊しているホテルのレストランで食べた。
個室だったので(これもトムの計らい)、周囲を気にする必要もなかった上に、キレイな夜景を見ることもできた。

一流ホテルのレストランだけあって、お任せで頼んだ料理は、どれもとてもおいしかった。
トムに時差ぼけしてないか聞いたり、どういうものが食べたいのか、レンにも事前に聞いていた野田さんは、やっぱり気配り上手だと思う。
優しさのツボを押さえてるというか、肝心なところはきちんと押さえてるというか。
きっと彼女には優しいんだろうな・・・。
って、何考えてんの?私はっ!!

「ところで、ナツはネイティブ並みにとても綺麗な英語を話すね」
「ありがとうございます。私は9歳から14歳までの5年間、アメリカに住んでいたんです」
「ほう。アメリカのどこ?」
「シアトルです」
「そうかー。私も一時期シアトルに住んでいたことがあったんだ」とトムは言うと、マリナーズにイチローがいなくなって寂しいとか、ローカルだけど、私たちにも分かるネタを出して、みんなを楽しませてくれた。
そこからテレビ番組の話になったとき、トムが思い出したように私に言った。


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