恋をしようよ、愛し合おうぜ!
19
狭い車内を覆っていた濃く熱い空気が、一瞬で冷めた。
手の平から野田さんの唇の感触がなくなると、寒いくらいの冷たさと寂しさを感じた私は、思わず両手で自分を抱きしめた。

・・・今、ここで泣いちゃいけない。
悪いのは私なんだから。

「・・・いつまでもそっちが踏み止まってるから、俺から押してみりゃ・・・そういうことか」とつぶやいた野田さんは、運転席に背中と頭をもたれさせ、額に左手の甲を押し当てたまま、フッと笑った。

その声も顔も、野田さん自身を嘲笑ってるように見えて、余計私の寂しさを煽る。

「あの・・」
「まさか、そいつと一緒にここに住んでんのか」
「ううん!あの人は東京に住んでない。別居中なの。もう・・・8ヶ月になる。別れてほしいと言っても、なかなか“うん”と言ってくれなくて・・・でも、あの家に帰るたびに、両腕が痒くなって、そのうち蕁麻疹が出始めて、それでどうにか・・・別居することは許してくれた」

すごく言い訳じみた言い方しかできないのが、野田さんにはすごく申し訳ない。
いたたまれなくなった私は、野田さん同様、前を見て・・・またうつむいた。

「いつ俺に言うつもりだった。大体言う気なかっただろ。俺にも、おまえのだんなにも」
「そ、れは・・・」

返す言葉が見つからない私は、うつむいたまま両手をギュッと握ることしかできない。

「騙してんじゃねえよ」
「だましてない・・・」
「黙ってりゃあ、騙してんのと同じだ」

野田さんの口調は、とても静かで、そして冷たい。
だからこの人が抱いている怒りと寂しさを、ひしひしと感じる。

「消えろ」
「え」と私は言いながら、また隣の野田さんを見る。
だけど野田さんは、いまだに前を見たまま、私を見ようとしない。

「このままだとおまえのこと殴っちまいそうだからよ。そうなる前にとっとと失せてくれ」と言った野田さんは、大きな両手でハンドルをグッと握りしめていた。

「ごめ・・・ごめんなさい」と、かろうじて私は言うと、涙が流れ出る前に、車から降りた。
そして私が助手席のドアを閉めたのとほぼ同時に、野田さんは車をスタートさせた。

野田さんの白い車が角を曲がって見えなくなると、私は「泣いてもいい」と、やっと自分に許可を出した。

それからヨタヨタと歩いた私は、階段の2段目に座り込むと、盛大に泣き始めた。



・・・たぶん数分くらいしか経ってないと思う。
「ん?やっぱりなつきさんだ」という声が聞こえたので顔を上げると、目の前にヒロミちゃんが立っていた。

「なになに?どうしたの?なつきさん。まさか、誰かに襲われた!?」
「ち、ちが・・ちがう・・・うぅ、わぁん!」
「うぎゃー!ちょ、ちょっとなつきさんっ!」

ヒロミちゃんは最初、ビックリしながら、それでも抱きついてきた私をちゃんと抱き留めると、頭をよしよしと撫でてくれた。

そのとき「ヒロミちゃんっ!?」という声が聞こえた。
と思ったら、幸太くんと川口さん、そして悦子さんの彼が、私たちの前に立っていた。

「どうした・・・え?ナツさん?もいる」
「どうもねぇ、野田氏となんかあったみたいですよ」

「野田氏」と聞いただけで、私の目から条件反射的に涙が出てくる。
ヒロミちゃんに核心を突かれた私は、また「ううううぅ」と盛大に泣き出した。

「・・・みたいだな」
「そんなとこで泣くより2号室行こ。ちょうど焼酎ワインパーティー中だから。“森伊蔵”と“鬼ころし”飲もう!」
「うーーー、のむーぅ!」と吠えるように私は言うと、グーにした右手を掲げて「うをー!」っと叫んだ。

まだ飲んでもないのに、すでに酔っ払ってる状態だと、もう一人の私が冷めた状態で上から分析してるのを感じつつ、私はヒロミちゃんの肩を借りながら、2号室のクリスティーナ宅へ入って行った。




クリスティーナの部屋に着くなり、最初は焼酎(「森伊蔵」はすでに空だった)、そして今はワインを浴びるように飲んでいる。
飲みながら、そして泣きながら、野田さんがレストランに連れて行ってくれたこと、その後送ってくれたときのことまで、どうにか話した。

「あぁなるほどねぇ。そりゃあ野田氏が怒る気持ちも分かるわー」
「だからサッサとカタつけなって言ったでしょ?」
「わっ、かってる・・・けどわた・・・ひくっ、だれともね、こいしないって・・・」
「ノーノー。ナツはもう、すでにノダと恋してるの」
「クリシーまでそんなんいって。ううううぅ」

そのまま手に持ってたグラスをクイッと煽ったけど、中は空だった。
すかさず横から「はいこれ」という声とともに、新たなグラスが差し出されたので、私はそれを受け取って、グイッと飲んだ。

これでもう何杯目になるのか分からないけど、飲まずにはいられない。
明日は仕事も入れてないし、人生初のヤケ酒煽ってやろうじゃないの!

「三好なつき。今夜は飲ませていただきますっ!」と言って、またグイッと飲んだ私を見た川口さんが「良い飲みっぷりだね~」と感心少々、後は呆れ声で言ったけど、気にしない!

「今頃野田さんもヤケ酒飲んでんのかなぁ」
「ならまだいいわよ。もしかしたらソープにでも行ってんじゃない?」

という悦子さんの発言に、酔っ払ってる私の耳がすかさず反応した。

「・・・なんですと?」
「だってさ、野田さんは今夜、なつきちゃんとする気満々だったんでしょ?お預け食らった上に、行き場失くした性欲を発散させるには、やっぱソープじゃない?」
「えー?でもファンクラブあるんだったら、会員呼び出してもオッケーじゃないですかー?」
「あの人、社内恋愛しない主義だって言ってたもんっ!それにっ・・・それに、あの人、テキトーにつまみ食いするようなタイプじゃない・・・んじゃない?とおもうんですけど・・・わたし、そこまでノダシンのこと知らないのよお!」と私は最後、叫ぶように言うと、またグイッとワインを煽った。

「とにかく、野田さんってめちゃモテる男だからさ、少なくとも今夜だけの相手見つけることは簡単じゃね?って俺しないよ!俺はヒロミちゃん一筋だから!」
「分かってるって」
「野田さん、無事に家に帰ったかな。彼女じゃないし、ファンクラブ会員でもないけど、気になる」
「そうね。シラフでもナツにふられたショックを受けて、精神的に動揺してるはずだし」

というクリスティーナと悦子さんの発言に、また私の耳がピクンと反応した。

「この辺で事故ってないのは確実ですよね。救急車のサイレン聞こえないし」
「あぁそうだね。ってナツさん!?」

私はスクッと立ち上がって・・・すぐしゃがんだ。
そのまま四つん這い状態で歩きながら「バッグ・・・」とうわ言のようにつぶやいていると、目の前に私のモノグラムがぶら下がっていた。

「ども」と私は言いながら、モノグラムの中をガサゴソ漁ってスマホを取り出すと、おぼつかない手つきでオンにした。

そのまま画面を見た私は、「・・・ノダシン、かけてなーい」と言うと、また泣きだして・・・スマホを操作し始めた。


「うー、ノダシン出ないー。やっぱソープに行って・・あ!もしもしっ!のださんっ!?私、三好なつきです!無事なんですね。よかったぁ。今どこですか!」
「・・・家」
「・・・ん?もしもし?野田さんっ?のださーん!あ、ちょっとこーたくん!」
「ナツさん、もう切れてるよ」
「はあ?はなしはじめたばっかなのにー?」
「話してくれただけでもよかったじゃない」
「まだ脈アリなのかも」とクリスティーナが言ったところで、ワインの調達に行っていた川口さんと、悦子さんの彼が戻って来た。



それから私は、泣きながらワインをガブ飲みしつつ、時々野田さんのところへ電話をかけていた。

「・・・黙ってたことはごめんなさいですよ。でも、でもね、わたし、だからね・・・」
「なつきちゃん、切れてる電話に話してるよ」
「なぁにぃ!?ヒトがはなしてるとちゅーできりやがってー!」
「・・・てかもう夜遅いし」

ということで、締切前のヒロミちゃんは、漫画を描くため帰った。

「でもさ、やっぱり野田さんってナツさんのこと好きなんだよ」
「はー?」
「だって酔っ払ってるナツさんが何度かけても、必ず出てるじゃん」
「そうよねぇ。ウザかったらオフにしとけばいいのに」
「わたし・・・またかけるっ!」
「そうきたか」と言った川口さんは、呆れたのを通り越して感心してるようだ。

「・・・・・・も、もしもし。わたし。なっちゃんです・・・うち!大体ねぇ、人の心の奥深くまでズカズカ入りこんだのは、そっちのほうでしょー!・・・うぅ、もう、恋しないって・・だれとも恋愛しないって・・・少なくとも、じんせーたてなおすまでは、うぅ、だれも好きにならないって、そんな・・・そんなよゆーないって、思ってた、ひくっ、のに・・・こんなにだれかを好きになったの、はじめてなのに・・・うううぅ、野田真吾のばっきゃろーっ!!わたしのばっきゃろーっ!!あ、ちょっとこーたくんっ!わたしのスマホ、かえしなさーい!」
「・・・ナツさん、やっぱこれ、切れてるよ。てか充電しといたほうがいいよ」
「うううぅー」

それからすぐ、幸太くんも帰った。
悦子さんと彼も帰り、最後に川口さんも帰ったところで、私はクリスティーナの部屋で完全に酔いつぶれてしまった。










・・・あれ?野田さんの声が聞こえるような気がする・・・。
上体を起こした私は、そのまま頭を抱えた。

ううぅ、頭痛い。
あんだけ飲んだのは人生初だからなぁ。
それに、コンタクトつけたまま眠っちゃったからか、目がゴロゴロする。
目をゴシゴシこすっていると、「ナツ!」というクリスティーナの声が、脳内でガンガン響いた。

「ふ、あい」
「・・・フツカ酔いね。それは後でいいとして。早く外に行きなさい」
「あぁごめんね。クリスティーナの部屋で寝ちゃって」
「それはいいの。酔いさましの準備しておくから、早く!」
「うー押さないでー」と言いながらドアを開けると・・・野田さんが立っていた。

昨日とは違うスーツ着てる。
ひげも剃ってるし、髪にジェルもつけてる。
てことは、本当に家に帰ってたんだ。
良かった、という安堵感が湧いてくるのと同時に、今の自分の恰好をハタと思い出した私は、途端に「やばい!」という気持ちに支配された。

私が一歩後ずさろうとしたら、すかさず野田さんが私を壁に追いやった。
目の前には野田さんの体、顔の両サイドには野田さんの大きな手がバンと置かれているので、私には逃げ場がない。

最後の悪あがきに、私は自分の口を、手でふさいだ。

「おまえ・・・何やってんだよ」
「え、っと、私、昨日は歯も磨かず、メイクも落とさず、ワインをガブ飲みしてそのまま眠っちゃったから。たぶん目やにとか、よだれのあととかついてそうなので、そのぅ・・・」
「なっちゃん」
「は、い」

・・・やだ。
昨日あれだけ泣いたのに、野田さんに「なっちゃん」って呼ばれただけで、なぜかホッとして泣きそうになってしまった。

「俺・・・おまえの全てを俺のもんにしたい。だからだんなと別れろ」
「のださ・・・」
「カタつけたら俺の全部、おまえにやる。それまでは・・・これでガマンしろや。俺もガマンしてやるからよ」

と野田さんは言うと、自分の額を私の額にコツンとくっつけた。

こらえきれずに私の目からボロボロ涙が出てくる。
いつの間にか口から離していた手は、野田さんの大きな手と繋がれていた。
その数センチの間を埋めたいと、心から思った瞬間だった。

私は泣きながら、「ぅん」と言うと、小さくコクコクと頷いた。


< 19 / 46 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop