恋をしようよ、愛し合おうぜ!
光子さんのツテで紹介されたそのアパートの見た目は、誰が見ても分かるってくらいにおんぼろだ。
しかも取り壊しが決まっているため、来年の3月までしかいられないという条件つき。
ということは・・・ここに住めるのは、マックス1年ちょっとか。

それでもここに決めたのは、取り壊しが決まっているためなのか、家賃が月3万と激安だったこと。
そして賃貸だけど、家の中は好きに改装していいと大家さんに言われたから。

おんぼろな外観、しかも8畳一間というのは、今までで最高に狭い私の住処だけど、ここには夢が詰まっているような気がした。
それが今の私と重なって見えたこと。
たぶんこれが、ここに住むと決めた一番大きな理由かもしれない。

とにかく、居候させてもらっていた光子さんのマンションから、おんぼろアパートへ引っ越した私は、家づくりをしながら、自分の人生を建て直し始めた。



ダメ元で行ってみたら、幸い、前いた英会話スクールの非常勤教師になることができた。
でも「非常勤」だから、いつ声がかかるか分からないし、実際レッスンをしなければ、報酬はもらえない。
過去、生徒さんたちの英語力を社内で一番伸ばしたと表彰されたこともある実績なんて、こんなものか・・・。
ううん、その実績があったからこそ、非常勤でもここに置いてもらえたんだと解釈しよう。
あてはないけど、仕事のツテを一つ得たんだし。

それからの私は、友だちの紹介で英語の個人レッスンをしたり、会社で通訳を頼まれるようになった。
そのうち、メイクやモデル時代に培った写真の撮られ方、立ち居振る舞いなどを教えてほしいと声をかけられるようになり、出張で教えることもまれに出てきた。

それでも収入は不安定だ。
通帳の額は面白いように減っていく。
お金はどんどんなくなっていくけど、私は今までにないくらいの自由を感じていた。

彼は、住むところを探そうとか、お金を出そうと言ってくれたけど、自分のワガママで家を出たんだから、これ以上援助を求めるわけにはいかない。
それに、退屈なあの世界から飛び出して、やっと自由を得たのに、またあの人に囲われてると感じるような生活をしていたら、家を出た意味がない。

あの人は、私が家を出たことは、一時の気紛れくらいにしか思っていないようだ。
離婚はもちろん、家を出ることも義両親から猛反対されたとき、あの人が「どうせすぐ戻ってくるから」と義両親に言ってたのを聞いてしまった。

それはあの人なりの優しさ、というか、ああ言うことで、義両親を納得させただけなのかもしれない。
あの人自身は気紛れなんて思ってないのかもしれないけど、自分の援助もなく、職もない状態で、私一人でやっていけるわけがない、だからすぐ音を上げて自分のところに戻ってくる。
そう思ってるのは分かった。
だからこそ、彼は別居に応じてくれたと思う。

ここは私の意志を貫く正念場だ。
それに、たとえお金がなくなっても、彼のところへ戻るつもりはない。
だって・・・離れても、彼が恋しいとか、会いたいとは全然思わない自分がここにいる。
やっぱり私は、彼のことを愛していなかった。
と言うより、あの人と一緒にいれば、幸せにしてもらえると思っていたことが、そもそも間違いだった。

あの人に養ってもらうこと、イコール幸せにしてもらえるんじゃない。
三好なつき。
26歳にして、ようやくそのことに気がつきました。




それでも世間というのは厳しいものだ。
英会話スクールを運営している会社が倒産してしまったため、私は非常勤教師の職を失った。
でもこの5カ月の間に先生として呼ばれたのは、たったの3回だけだったし。
それだけ無理して置いててくれたんだなぁ、と思わざるを得ない。

とにかく、あてにはしていなかったけど、収入源の一つを断たれた私は、他の収入元を見つけなければならない。
ただ嘆いていても、預金残高は減っていくだけだし。
さてどうしようかと思っていた矢先、大口の仕事が舞い込んできた。

それは英会話スクールの生徒さんから声をかけてもらった仕事で、その方が勤める大手企業でのプロジェクト通訳だ。
プロジェクトが終わり次第終了という、数ヶ月の仕事だけど、毎日じゃない上に、報酬もかなり良い。
おまけに交通費まで出してもらえるなんて・・・。
あぁ、捨てる神あれば拾う神あり!
ふてくされないで毎日頑張った甲斐があった。

断る理由も全然見当たらなかった私は、声をかけてくださった部長さんに、二つ返事でオーケーした。





そうしてやってきたプロジェクト通訳の初日。
私はそびえ建つ自社ビルを仰ぎ見ると、中へ入った。

受付で自分の名前と部長さんの名前を言うと、受付嬢さんは感じの良い笑みを浮かべて「少々お待ち下さいませ」と言った。

英会話スクールにも受付嬢はいたけど、ここまで大規模な会社じゃなかったからなぁ。
ここにいる人たちみんな、エリートに見える。

ちょっとおのぼりさん気分で、あたりをキョロキョロ見渡していると、受付嬢が声をかけてきた。

「三好様。お待たせいたしました。金崎はすぐ参ります」
「あ、はい」

と言ってニッコリ微笑んだとき、金崎さんがやってきた。

「おはようございます、金崎さん」
「おはよう、先生!」
「ちょっと金崎さんっ!私、もう先生じゃないですからっ!」
「あ、そうだったねぇ。でも僕ね、“先生”って呼ぶの慣れちゃったし。あ、佐藤さん。訪問証発行してちょーだい」
「かしこまりました」

金崎さんって、物腰低いんだか高いんだか・・・よく分かんないけど、威張り散らすようなオジサンじゃないことは確かだ。

受付嬢の佐藤さんが発行してくれた訪問証を、金崎さんからもらった私は、クリップ部分を使ってスカートのポケットにそれを留めると、オフィスへと案内してもらった。


「こちら、今回のプロジェクトの通訳を担当をしてくださる、三好なつきさん」
「三好です。よろしくおねがいします」と私は言ってニッコリ微笑んだ後、軽くお辞儀した。

「先生、こいつらが今回のプロジェクトメンバー。まずは責任者の野田君」
「・・どうも」
「あっと、よろしくおねがいします」
「それから野田君の下についてる荒川君」と金崎さんに言われた荒川君は、立ち上がると「荒川です!よろしくおねがいします!」と元気に言って、ペコッとお辞儀をしてくれたので、「こちらこそ、よろしくおねがいします」と私も言って、頭を下げた。

「それから営業事務の花田さん」
「花田です。私はプロジェクトには直接関わってないんですけど、海外一課の事務をしてるので、今後三好さんと接する機会も多いと思います」
「そうですか。よろしくおねがいします」
「こちらこそ」

よかった。
とりあえず、野田さん以外の人たちは、みんないい人そうでホッとする。
でもなんでこの人、さっきからずーっと敵意むき出しで私を睨んでるんだろう。

早くも嫌われた?

「部長」
「なんだ、野田君」
「こんなので大丈夫なんすか」

・・・この人、いい声してる。
けど今、この人、私をボールペンで指して、「こんなの」って言ったよね!?

それを証明するかのように、その場がシーンとなったけど、それを破ったのは野田さんだった。

「大体部長が“先生“っつーから、どんだけ偉い通訳さんがやって来るのかと思ったら、こんなチャラチャラした女子大生みたいな派手女じゃないすか!」
「な・・・私、女子大生じゃありません!」
「俺は“みたいな”って言った。そんなんで通訳務まんのか?マジで怪しいぜ」
「な・・・」

何この人!!
超・超超超ムカつくーっ!!!!

「私は通訳としての実績もあります!私のことを何も知らないくせに、見た目だけで判断するのはやめていただきたいですっ!」
「ほう。言ってくれるじゃねえか。本当にそれだけ自信持って言える実績持ってんのか?」

いつの間にか立ち上がっている野田さんを、私は挑むように睨み返していた。
う。この人背が高いから、見上げなきゃいけないけど・・今はそんなことどうでもいい!

二人の間にバチバチと火花が散る。

初対面でこんな屈辱的なことを言われたのは初めてだからか、すごく悔しい!
「ちくしょー野田!見てろよ!!」って叫んでやりたい!

でもそう叫ぶ前に、金崎さんが私たちの間に入り込んできた。

「野田!先生に失礼なことを言うな!」
「だから“先生”って言うのは・・・」
「じゃあ“なっちゃん”でいい?」
「・・・へ?えっと・・・」
「それとも“なつきちゃん”のほうがいいかな?」
「あー・・・・・・はい。別に・・・」
「よし!じゃあ決まりだ」と仏のようにニッコリ笑顔を私に向けて金崎さんは言うと、ムッツリ不機嫌顔を、野田さんに向けた。

「野田。なつきちゃんの実力を疑うということは、僕のことも疑うということだよ。君にはそれが分かっているのか?」
「それは・・・・・・すいません」
「謝る相手が違うだろう」

あぁ、やっぱり金崎さんって、部長としての威厳がある。
それに、金崎さんが言ってることは正しい。
と野田さんも認めたのか。

野田さんは、とりあえず私を睨むのを止めると、「失礼しました」と言って頭を下げた。
ホントはまだムカついてるけど、相手は謝ってるんだし、金崎さんの立場もある。
だから私は許すことにした。

「いえ。もういいです」
「というわけで、なつきちゃん。僕からも謝罪します。部下の失言、許してやってください」
「いえそんな!ホントにもういいですから!」
「そう?よかったぁ。野田君、通訳を頼むことになったのは、キミの英語力がゼロだからでもあるんだぞ。悔しかったら英語ができるようになりなさい」
「ぐ。ぶちょー、それ言わないでくださいよ」と言ってる野田さんの顔が、赤くなってる気がする。

てことは・・・英語できないってホントなんだ。
なんか、照れてるこの人って・・・かわいいなぁ。
と思っていたら、野田さんがまた私を見た。

途端に、私は息を止めて、その視線を受け止める。
何?私が考えてたこと、見透かされた?
だからまた睨んでるの?

「じゃあなっちゃん。今後分からないことがあったら、責任者の野田に聞いてね」
「・・・・・はぃ」

初対面でいきなり口喧嘩した野田さんに抱いた印象は、ズバリ「最悪」だった。




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