恋をしようよ、愛し合おうぜ!
「お待たせしましたー」
「ありがと。荒川も知ってるよな」
「何がですか」
「俺が結婚してたこと」
「そりゃ知ってますよ。俺、野田さんの直属の部下ですから!てか、野田さんがバツイチになったときは、ちょっとしたニュースになりましたからねぇ」
「と言うと?」
「女子社員はみんな大喜びしてました。以来、また社内で一番モテる独身男に、見事返り咲き。今年も一位間違いないっすね、野田さん!」
「はあ?なんだそれ」
「そんなコンペあるの!?」

大企業がすることって、よく分からないけど・・・野田さんが社内で一番モテる独身男だっていうのは、ある程度は納得できる。

ジェルで黒い前髪を立たせているからか、頭と額の形がいいって一目で分かる。
少したれ気味の切れ長な目。
鷲鼻で、厚すぎず、薄すぎず、適度な大きさの唇。
肌もキレイだし、背も高い。
162センチの私が5センチヒールのパンプス履いても、頭一つ分くらい高いから・・180以上はあるはずだ。
顔にも体にも、余分な贅肉がついていない。
スーツも似合うガタイだし、たぶん私服も、何着ても似合うと思う。

そう。外見上だけ見ると、この人モテるって納得できる。
でも内面は・・・。

そのとき、私が手に持っていたエナジーバーを、野田さんが取り上げた。

「ちょっと!それさっきくれたばっかり・・・」
「おまえはこっち食え」と野田さんは言いながら、荒川くんに買ってきてもらった未開封のチョコバーを、私に押しつけた。

そして私が二口食べたエナジーバーを、何のためらいもなく食べ始める。

「あのぅ・・・」
「俺、バレンタインでチョコもらいすぎたせいか、見るのもヤなんだよ」

うわー・・・でも、分かる気がする。
この人、小学生の頃から現在に至るまで、チョコいっぱいもらってそうな感じだもんね。

でも!!
野田さんが今食べてるエナジーバーを、その前に私が食べてたんだから、つまり・・・間接キスしちゃってるんだけど・・・。

向かいに座っている野田さんを、チラッと見ると、「うめぇ」と言いながら、それをパクパク食べている。
でも視線を感じたのか、いつもみたいに私を睨みつけてきた。

「おまえ、チョコ好きそうな顔してんじゃん」
「はあ?それよく分からないけど・・・うん、チョコ好きですよ」
「ほら見ろ」

何でこの人は、そこで勝ち誇るわけ?
大人なんだか子どもなんだか、よく分かんない人だ。

「手っ取り早く血糖値上げるには、チョコ食うのが一番だ。それに、そのオレなコーヒーとチョコのほうが、組み合わせ的には合ってるだろ」
「うーん。まあ・・・そうですね」

どっちにしても、私的には、エナジーバーよりチョコバーのほうが好きだし。
「食っとけ」と野田さんに言われた私は、「いただきます」と言うと、チョコバーを開けて食べ始めた。

・・・この人は、初対面から私につっかかってきたし、会えば嫌味も言ってくる。
たぶん私のことが気に入らないからだと思うけど・・・。
それでも、倒れそうになってた私を支えて運んでくれた。
仕事を始める前に休ませてくれた。
チョコバーもくれた。
肝心な時には優しい。
そして野田さんって、大事なところはちゃんと理解してくれている。
そんな人のような気がした。
普段は私を睨んでばかりのたれ気味の目が笑うと、きっと可愛いだろうな。

みたいな意外性を感じた私は、なぜか一瞬で体中の全細胞が活性化したような気がして・・・ドキッとした。

「なんだよ」
「ありがとうございます」
「フン。ここでおまえに倒れられたら仕事が滞るだろ」

・・・鼻で笑われた。
お礼言うんじゃなかった。

「それ食ったらちゃんと仕事して俺にキッチリ借り返せ」

・・・三好なつき、26歳。
ほんの一瞬だけでも「この人優しい」と思ったことを、激しく後悔したのでありました。

みんな!見た目だけで騙されちゃダメ!
やっぱり野田さんって意地悪だーっ!!!

と叫ぶ代わりに、私は盛大なため息をついた。
そして、控えめに立ってる荒川くんは、クスクス笑っていた。





前回の初日は、会議室だけで過ごした私だったけど、今回は会議室で「朝食」をとった後、海外事業部のオフィスに案内された。
うわー、広ーい!
それに活気もある!
職種が違うということもあるけど、私が唯一勤めていた会社の英会話スクールとは、規模が違う。
だんなのツテでバイトしていた会社は、カウントしないことにしているけど、そこと比べても、こっちの方が断然活気があるから、儲かってるんだろうなぁって感じが伝わってくる。
だからこそ、私みたいなフリーランスの通訳を使うことを、部長である金崎さんの一存で決めることができるんだろう。
その金崎さんは電話中だけど、私に気づくと受話器を持ったまま立ち上がって、右手を上げてくれた。

周りをキョロキョロ見渡しながら、すぐ目の前にある、野田さんの広い背中を指針に歩いていると、野田さんたちが所属する海外1課のエリアへ着いたようだ。
事務の花田さんが立ち上がって、「おはようございます」と挨拶してくれた。

「おはようございます、花田さん」
「他の1課のメンバー。内田と奥村」

と野田さんが言うと、名前を呼ばれた二人(すでに立ち上がっていた)のうちの一人が、「内田です。よろしくおねがいします」と言って頭を下げてくれた。
そのすぐ後、内田さんの向かいにいる男性が、「奥村です。よろしく」と言って、同じく頭を下げてくれたので、私も「三好です。よろしくおねがいします」と言って、私も頭をペコッと下げる。

さすが大企業だけあって、社員教育も行き届いてるなぁ。
と感心していたら、「ウッチーと奥村はプロジェクトのメンバーじゃねえけど、なんかあればこいつらに聞いてもいいぞ」と、野田さんが言った。

「はい」
「とは言っても、こいつらも外出してることが多いと思う。だから花ちゃんを頼ることが多くなるだろうな」
「そうですね」と私は答えながら、野田さんの端正な横顔を見ていた。

その野田さんは、机にあるメモ紙を見ている。
つられるように、私の視線が彼の手に移った。

この人、スッと伸びた長い指をしている。
私よりも大きくて骨太な手から清潔感を感じるのは、なぜだろう。

野田さんは、ボールペンを取ると、メモ紙に何か書いた。
それが終わると、机の右上にメモ紙をまとめて重ね貼りした。
どうやらそれが、野田さん流「メモ紙チェック済み」の印らしい。

そしてメモ紙の何枚かを、黒い革張りの分厚いシステム手帳にはさみながら、「ウッチー、用意できたか」と内田さんに聞いた。

「はい!バッチリです!」
「よし。俺と内田は出かける。11時・・遅くても12時には戻る予定だ。その間、なっちゃんは前の分とプラスして、これも英訳しといて」

と野田さんに言われて手渡されたのは、A4用紙の束だった。

「え。これ・・・前回同様手書き?!」
「おう。昨日の夜急いで書いたからな。誤字脱字あると思うが気にすんな」
「パソコンに文書作成しないんですか?」って前回も思ったことを、野田さんに聞いてみた。

「これはまだ下書きだ」
「はぁ。まあ・・・そうですけど」
「俺は最初に手書きする派なんだよ」
「つまり、野田課長はアナログ派なんです」と事務の花田さんが要約してくれた。

「俺はタブレットも使うが信頼してない。急に要充電になったり接続できなくなることもあるからな」

なるほどー。
確かにこの人はアナログ派かもしれないけど、機械を使いこなせないオンチじゃない。
スマホはもちろん、パソコンやタブレットもちゃんと使いこなせているし。
何というか・・アナログとデジタル、両方を上手く併用してると思う。
メモ紙のチェックを見ていたら、情報のふり分けや管理の仕方が整然としていて、そこから「この人、仕事できる」って思ったし。

「ひとまず1課(ここ)の空いてる席を使え。それから、後ろにあるパソコン使っていいぞ。パスワードは花ちゃんに教えてもらえ」
「分かりました」

ホワイトボードに出先を書き終えた「ウッチー」こと、内田さんが戻ってきたのと同時に、「行ってくる」と野田さんは言った。

私は、並んで歩く二人の後姿に向かって、「行ってらっしゃい」と言った。






1課のすぐ後ろにある、ズラーッと並んでいるパソコン端末の一つを使うことにした私は、ひとまずそこを自分の拠点にする。

花田さんがログインしてくれている間、私は前もらった紙を出したり、さっき野田さんから手渡された紙をざっと見ていた。

・・・なるほど。
この量だったら、2時間強で全部いけるんじゃないかな。
私は、花田さんが持ってきてくれた、辞書なみに分厚いパンフレットを片手に、まずは手渡された紙の英訳をした。

分厚いパンフレットには、部品の名称などの専門用語が、10カ国語で書かれている。
専門用語の意味は日本語だけで、図解つきなものもあるので、すごく分かりやすい。
だけどこれは、社外持ち出し禁止なので、ここに来るときだけ使うことができる。

野田さんと違って、私はダイレクトにパソコンに打つ派だけど、前回、パソコンは持ってこなくていいと言われたので、前回の紙の英訳分は、自分のパソコンと別紙、両方に書いていた。

・・・かといって、ものすごいデジタル人間でもないと思う。
私もあの人同様、予定は全部システム手帳に手書きする派だし。

手書きするからなのか、野田さんがくれた用紙に誤字脱字は全然見当たらない。
1晩で急いで書いたと言ってたけど、汚すぎて読めないって字もないし。
やっぱりこの人、仕事できるんだろうなぁ。

と思っていたとき、野田さんのデスクにある電話がリンリン鳴った。
あれから荒川くんと奥村さんも出かけて、今ここにはいないし、花田さんは電話中。
私が取ってもいいのかな。
と思って金崎さんのほうを見ると・・・電話中だ。
でもウンウンと頷かれたので、取ることにした。


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