Again
「いってらっしゃい」





渡した靴ベラを受け取り、バッグを渡す。





「いってきます」





スマートにスーツを着こなし、ピカピカに磨かれた高級革靴を履く。それが様になる男が夫の仁。彫りの深い顔立ちで、ピシッとセットした漆黒の髪。脚の長さも半端じゃなく、歩き方はさながらモデルのするウオーキングの様だ。こんなに出来上がった顔は見たことがない。

そんなことを思ってはいるが、仁の顔をじっくり観察などしたことはない。もちろん会話の時に目を合せるが、薄茶色の瞳が印象的で吸い込まれそうだった。歩けば振り向かない女はいないだろう。

仁は、いつものように送り出す葵と顔を合わせず出勤していった。夫になった仁を見送ると、葵は深いため息をついた。

仁は決まった時間に出勤するわけではないらしい。葵の方が早く出勤する場合もあるし、仁が早い場合がある。仕事によって出勤時間が違うようだが、重役業はそれでいいのかと、疑問視している。

一番気にしていたのは朝食だ。食べて行くのか、行かないのか。しかしそんな葵の心配を余所に、仁は決まった時間に起床し、朝食を一緒に食べた。出勤する時間がまちまちなのだろうが、業務報告のようなものでいいのだ、何かしら報告が欲しい。毎日、時間を気にしなくてはならないストレスは、想像以上なのだ。

副社長業はどんなものか全く知らないが、きっと事情がいろいろとあるのだろうと、葵は理解しようとしていた。





「はあ~」





 上等の男と暮らして緊張しているからくる溜息ではない。気遣いからくる溜息だ。低く響きがある特徴的な声。新婚夫婦なら玄関先で行ってきます、のキスなど、熱い光景が見られるものだが、葵達にはそれはない。

結婚して早三か月。会話なんか全くない。というか、成立しない。唯一のコミュニケーションの場、朝食時であっても葵の問いかけに短い返事をするばかりだ。葵の何を望み、何を欲して強引なまでに結婚をしたのか全く分からない。愛されている実感もないし、夫婦の実感もない。この生活のどこに楽しみと生きがいが感じられるのかも不明。それでも、覚悟を決めて結婚をしたのだから、なんとか添い遂げたいと頑張っているつもりの葵は、一人で空回りをしている錯覚に陥っていた。





「さて、あたしも仕事に行くかな」





家の中を点検して、バッグを持つ。





「じゃ、ロボットちゃん、お掃除お願いね」





仕事をしている葵は、専業主婦のように家事は出来ない。まして今まで暮らしたことのない広さのマンションだ。休みの日以外はお掃除ロボットにおまかせして仕事に出かける。

お掃除ロボットがお仕事を始めるのを見届けると、葵はパンプスに足を入れ仕事に向かった。

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