理想の結婚
第1話

 夜景の見える綺麗な展望台で、そういう雰囲気だったから浮かれていた訳ではない。普段から油断していた訳でもないから、当然ながらそんな気配すら感じていなかった。女磨きも抜かりなくサボったりしたこともない。常に良い彼女を演じてきたつもりだ。理想のプロポーズや理想の結婚像もあり願望もかなり強い方だが、それを抑え重たい言葉も上手く避けてきていた。
「ごめん、好きな人ができた」
 綺麗な夜景をバックに、二年付き合った相手からこう切り出され、思考回路は停止した。景色の良い場所でのプロポーズ、そして大勢の親戚・親友から祝福されての結婚披露宴。ウエディングケーキへの入刀に、花形のブーケトス。そんな甘い夢を描いていたがそれらは一瞬で崩壊する。
 ドラマのセリフのように「なぜ?」とだけ聞いたが、返ってきた言葉がなんだったのかは覚えていない。展望台から自宅のマンションまではかなり遠い。彼に言われるまま乗った最後のスポーツカーの名前も忘れた。
 帰宅してから呆然としてシャワーを浴びていると、流れるお湯と共に涙が零れた。頭の中にでは「なぜ?」という単語だけが変わらずぐるぐると流転する。心が弾けそうなくらいの痛みを覚え、ひざまずき嗚咽を漏らす。明日から始まるお盆連休は、きっと自分にとって最低の期間になるだろうと思っていた――――


――昼過ぎ、けたたましく鳴る固定電話の呼び出し音で理紗(りさ)は目を覚ます。最初は居留守を決め込もうと布団を被ったが、あまりにも長いコールに堪忍袋の緒が切れる。不機嫌な態度で受話器を取り上げると、呼び出し音以上に煩い奈津美(なつみ)の声が頭に響く。
「ちょっと! いつまで寝てんの! 盆くらい実家に帰ってきなさいよ!」
「お、お母さん? なんで私のお盆休み知ってるの?」
「母はなんでもお見通しなのよ。ごちゃごちゃ言ってないでとっとと帰ってきなさい。暇なんでしょ?」
「暇って失礼な、私にもいろいろ予定が……」
「ほう、神奈川に進学と就職で八年。高校卒業以降一度しか帰省してないアンタが親に意見するってか?」
「うっ……」
「誰が学費出したか?」
「わ、分かったよ。帰ればいいんでしょ、帰れば」
「最初から素直にそう言えばいいのよ。今回の盆は伯父さんの十三回忌も兼ねてるから、絶対帰ってきなさいよ」
(伯父さん、晃也(こうや)さんの十三回忌。亡くなってもうそんなになるんだ。私が中学生のときだもんな)
「分かった、それは流石に帰るよ。っていうか法事なら法事って最初からそう言ってよ」
「法事じゃなくても帰って来いって暗に言ってるんだけど? ご託はいいからさっさと帰って来るのよ。こっちは忙しいんだから」
 言いたい事だけ言われ電話を切られると、理沙は受話器を握ったまま呆然とする。洗面を済ませ、押入れからキャスター付きバッグを取り出すと、渋々帰省の支度を始める。最高でも三泊程度と踏んで下着等を詰め込む。お土産を入れるスペースも考慮せねばならず、頭を悩ませながら準備を進めていた。
 何かあったときの為、同僚であり同期の佳織(かおり)に帰郷の連絡のみ入れる。案の定、お土産の催促をされ、この度の帰省でかなりの額を散財しそうな予感がしていた。

 慌しく荷物を詰めるとすぐに駅へと向い、奈津美に到着時間等を連絡する。到着駅には向かえを寄越すと言われ安堵しつつ、自由席の新幹線に飛び乗る。帰省ラッシュということもあり座れないだろうと踏んでいたが、運良く二列席の空いている場所が目に入り理紗は喜々として向う。奥の窓側に到着するとホッと一息付き、バッグを上部の棚に上げようとする。しかし、そこには黒いスポーツバッグが置かれてあり疑問を感じる。
(あれ? なんでバッグが?)
 疑問に思っていると背後から声が掛かる。
「そこ、俺が座ってる席なんだけど」
 振り向くと背の高い青年が不機嫌そうな表情で理紗を睨んでいる。
(しまった、多分トイレに行ってただけなんだ。うわ、恥ずかしい……)
「す、すいません。すぐどきます」
 顔を赤くしながら通路側に出ようとすると青年が話しかける。
「隣、新横浜で降りたから空いてるけど?」
(第一印象最悪のコイツの隣で岡山まで。すぐに降りてくれればいいけど、岡山以降までの乗車ならこれからの二時間が地獄だ。かと言って二時間立ちっぱなしもキツイ。どうしよう……)
 思いもよらない言葉に、短い時間ながら理紗は葛藤する。通路には他の帰省客が続々と押し寄せ身動きが取り辛い状況になりつつある。
(背に腹は変えられない、か)
「すいません、じゃあ隣いいですか?」
「自由席だから別に俺に断り入れる必要ないと思うけど?」
(このクソガキ、人が下手に出てりゃいい気になりやがって! 明らかに高校生くらいだしシバき倒してやろうか!)
 イライラしなが見ていると青年の方は手を差し出してくる。
「な、なに?」
「バッグ、俺が上に置くから、窓側に座りなよ」
「い、いいわよ。自分でやるから」
「あっそ」
(ちょっと重いけど、これくら私でも余裕よ)
 意気込んで載せようとした瞬間、新幹線が動き出しバッグを頭上に抱えたまバランスを崩す。
(ヤバッ!)
 倒れそうになった瞬間、背後にいた青年に荷物と共に抱きしめられ理紗は焦る。抱きしめられたまま寄りかかっていると、バッグを取り上げられそのまま棚の上に載せられる。バッグを載せると青年は何事もなかったかのように通路側の座席に座り、音楽プレイヤーのイヤホンを耳に装着する。恥ずかしさのあまり立ったまま見下ろしていると、訝しげな顔で青年がイヤホンを取る。
「なに? 何か文句でも?」
「い、いえ。なんでも」
「座れば?」
 促され座るも居心地の悪さは半端なく、さっき力強く抱きしめられた感覚が身体を熱くする。
(なんなのコイツ? なんのコイツ? すっごいムカツク! ムカツクけど優しいし、私が意味わからない!)
 混乱しつつ黙り込んでいると検札に周る車掌が現れる。そして、青年が見せた岡山行きの切符を見て理沙は卒倒しそうな勢いで背もたれに寄りかかっていた。

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