理想の結婚
第9話

「ちょ、ちょっと、一輝君、一旦落ち着こうか?」
「俺は最初から落ち着いてるけど?」
「そ、そうね。じゃあ私が落ち着きたいから、ちょっと時間ちょうだい?」
「分かった」
 そう言うと一輝は視線を逸らし空を眺める。
(結婚できないって知った上でちゃんと考えてたんだこの人。なんという執念。いや、執念と言ったら言葉が悪いか。でもそれだけひたすらに私のことだけを考えて生きてきたんだ。これはとんでもないプレッシャーだぞ……)
 チラっと横顔を見るも一輝は落ち着いた表情で夜空を見上げている。
(八年前にした約束をただひたむきに守って、現実的なビジョンまで描いてここまできてたんだ。そこまでして私を追ってたなんて女冥利に尽きる。元カレのことなんて消し飛ぶくらいの衝撃だわ。けれど、現実的に考えて私達の間柄を祝福してくれる人はいない。下手すれば縁を切られたり勘当すらも十分ありえる。そんなの私の考える理想の結婚像からもかけ離れてるし。そもそも、付き合ったこともないのに結婚だなんて早急すぎる。いや、結婚はしないからいいのか? いやいや、婚姻関係にないだけで事実婚だし同じか。って言うか、私のどこがいいんだ?)
「あの、一輝君?」
「なに?」
「私のどこがいいの? 千歳ちゃんとか若くて可愛い娘、いっぱいいると思うよ?」
「それがなに? 理紗姉はこの世に一人しかいない。代わりなんていない」
「付き合ってもいないのに尚早とは思わないの? 八年も経てば性格も考え方も変わってるよ?」
「それは分かってる。それも踏まえて内縁を前提に付き合おうよ」
(一輝君、あくまで私と付き合いたいのね。でも今の私は誰とも付き合う気にはなれない……)
 少し考えてから戸惑いがちに理紗は切り出す。
「正直言うわ。今は誰とも付き合う気がない。昨日聞いたと思うけど、一昨日彼氏と別れたばかりなの。とてもそういう気持ちにはなれないわ」
「それはない、ちょっとヒドイよ」
「えっ?」
「俺がこの八年どんな気持ちで理紗姉を待ってたと思う? やっと会えたと思ったら俺のことも約束のことも忘れ彼氏まで作ってた。俺はずっと理紗姉だけを想って生きてきたのに。それを彼氏と別れたばかりで、誰とも付き合う気がないとか何様だよ」
 不機嫌そうに語る一輝を見て理紗の胸がズキッと痛む。
「忘れてたことや彼氏の件までは我慢したけど、誰とも付き合わない発言は流石に許せない。自分勝手すぎるよ」
(そう言われると返す言葉がない。確かに私は最低だ。純粋な一輝君の気持ちを、八年間に渡る想いを踏みにじったのだから)
「一輝君の言う通りだと思う。私は自分勝手で最低だ。だから、こんな女とは付き合わない方がいい。また貴方を裏切るかもしれないから」
「本気で言ってんの?」
(これ以上、この人を苦しませたくない……)
「本気。私、一人の男に縛られるの嫌。いつも自由でいたいの」
 理紗のセリフを聞くと一輝はうつむき黙りこんでしまう。
(たぶんショックだったんだろうな。想い人が尻軽女だって感じただろうし。ホントは彼氏できたら彼氏一途なんだけど)
「一昨日彼と別れたのも私の二股が原因だからね。確実に一輝君とは釣り合わない。ずっと好いてくれている千歳ちゃんのような娘を選ぶべきよ。だいたい私は……」
「黙れ!」
 少し大きめの声で言葉を遮られ、理紗はビクッとする。
「か、一輝君?」
「もういい、分かった。この話は終わり。なかった事にしよう」
(やっと諦めてくれたか。ごめんなさい、一輝君)
「その代わり、連絡先教えてくれる?」
「えっ、連絡先? なんで?」
「他意はないよ。何かあったとき親類として連絡することもあるだろうし。今はお互いに関東在住なわけだし」
「そういうことね、いいわよ」
 互いに携帯電話を取り出すとアドレス交換等を済ます。終わるなり一輝はベンチを立つ。
「もう遅いし、家まで送るよ。足も怪我してるし心配だ」
「ありがとう、お言葉に甘えるわ」
 一輝の性格からしておんぶを期待するも普通に前を歩き始め、少し残念な気持ちになる。怪我をした理紗を気遣うように後ろを確認しながら一輝はゆっくりと歩く。しかし、気まずいのか互いに会話はなく、家の前まで一言も交わさなかった。
「お見送りありがとう。もう大丈夫だから」
「わかった。じゃあ、おやすみ理紗姉」
「おやすみ、一輝君」
 挨拶を終え、きびすを返し家に向おうとすると一輝が声を掛ける。
「理紗姉」
「ん、何?」
 振り向いた瞬間、ふいに身体を抱きしめられ唇には柔らかく温かい感触が伝わる。何が起こったのか混乱し、それが一輝からのキスだと理解したと同時に相手から離れる。
「俺、理紗のこと諦めないから。そのつもりでいてよ。じゃあ、また」
 笑顔で手を振りながら去って行く一輝を、顔を真っ赤にしながら理紗は見送っていた。

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