躊躇いと戸惑いの中で


淹れたコーヒーをリビングで飲んでいた。

彼曰く。
少しだけ? と言ったカップでコーヒーを口に含み、やっぱり緊張しながらゆっくりテーブルへと戻している。

丁寧に扱ってもらえるのは嬉しいけれど、緊張しすぎだよ。

私は口元に手をやり、乾君の姿に笑みを漏らす。

「それにしても。何種類持ってるの?」
「え?」

「コーヒーカップ」
「いくつだろ? 数えたことないから、判らないや」

肩を竦めると、ええー。なんて笑っている。

「カップを買うのはね、自分へのご褒美でもあるの。いい仕事ができた時。社長が褒めてくれた時。自分の関った店舗の業績が上がった時。そうやって、自分にご褒美してたら、沢山集まっちゃった」
「沙穂は、一杯頑張ってきたんだね」

乾君が、見守るように穏やかな笑みを向ける。

「この年になると、なかなか褒めてくれる人もいないからねぇ」

自虐的に笑うと、そんな笑いも包み込むような顔をしてくれる。

「僕がいるよ。これからは、僕がいる」

見つめる瞳が、大丈夫って言っていた。
そんなに一人で頑張るなよ、って言ってくれている。
そんな彼の瞳に、ストンと心が軽くなるのを感じていた。

ああ、心が温かくなるって、こういうことを言うのかも。

人に隠してきた一番弱い部分に優しく触れられて、じんわりとその優しさが沁み込んでくるような。
ゆっくりと温められていくような。
ずっと目を閉じ、寄り添っていたくなる。

乾君の言葉が、どんなに嬉しかったか。
女だからって、片意地張ってきたし。
結婚もしないで働き続けていることに、棘のある言葉を浴びせてくる社員も少なくなかった。
まして、自分よりも上に行くような女性社員を、快く思わない男性社員だっている。

それでも、歯を食い縛ってきたし。
笑ってスルーしてきた。
結果を残すしかないって、残業だって楽しめばいいだけじゃん、てやってきた。

そんな今までの自分を、乾君の言葉が全部優しく包み込んでくれていくみたいで、視界が揺らいでいった。
今まで頑張ってきたこと全部を認めてもらえたような気持ちになって、泣けてきたんだ。

「ありがと」

こぼれる雫を堪えながら応えたら、私の頭を抱え込むようにして、彼が胸に抱きしめてくれた。

「泣いてもいいよ」

相変わらずストレートすぎるその言葉や気持ちが、一気に私の涙腺を緩める。
おかげで、堪えていた涙は難なく決壊を破り、彼の胸は私の涙で濡れていった。

「ありがと」

もう一度涙声で伝えたら、背中を優しくさすってくれた。

人に想われる温かさに、また涙がこぼれた。



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