躊躇いと戸惑いの中で


「残業頑張って」

感情の篭らない言い方をして膝の上においていたバッグを手に持ち、ドアに手をかけたところで、その手を掴まれ止められる。

「うわっ!?」

掴まれた衝撃に驚いて、運転席を振り返ると、怒っているんだか悲しげなんだかよく判らない瞳が私を見ていた。

「なぁ、碓氷」
「なによ」

いつもにない河野の表情と行動に、僅かな動揺が現れる。
私の手を掴んで引きとめた河野は、やけに冷静で真面目な口調になった。

「俺だけだと思ってんただよ」
「何が?」

よく意味の解らないことを真面目な顔で言われても、眉間に皺が寄るだけだ。

「ああいうシチュエーションを想像していなかったのは、俺のミスだ」
「だから、なんのことよ」

全く意味が解らない。
というか、解らないことで、余計に苛立ちが募る。
半ば睨みつけるように河野を見ていると、少し躊躇ったあとに、手首を突然掴むよりも驚くような言葉を告げられた。

「俺が、嫁に貰ってやろうか」

いつもにない真剣な顔から放たれた言葉は、普段の河野を知っているだけに、どう捉えても冗談にしか聞こえない。

はい?
ふざけてるの?

呆れた顔を向けたのに、河野の表情は微塵も崩れない。
寧ろ、さっきよりも見つめてくる視線が熱いのは気のせい?


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