手の届く距離
2cm

北村祥子:大切な時間と再会


チェーン展開しているカジュアルイタリアンの店『トラットリア ウーノ』

その裏口にある関係者専用駐輪場に、緩い下り坂スピードを殺さず長年愛用しているママチャリを突っ込む。

早すぎず不自然じゃないくらいの時間配分で、大事な時間を少しでも長く取るため。

店の外まで漂うイタリアンの香りを吸い込み、私、北村祥子は毎回幸せな気分になる。

自転車で大学から15分、自宅からも15分のこの店はどちらからも通いやすい。

しかも、休憩時間にはお店で出されるのと同じメニューが食べられるのだ。

賄い付きバイトの万歳。

店のスタッフ専用の出入口直前で立ち止まり、軽く全身をチェックする。

どうせバイトの制服に着替えるのだから、本来ならスタッフルームで整えれば十分なのだけれど、その直前に、必死に見つけた、大事な時間がある。

風で乱れた髪を軽く手櫛で整え、いつものジーンズは問題ないとして、春色のVネックのセーター。

3月末とは言え、朝晩は寒くてジャケットが手放せない。

つい楽だからと選んでしまうペタンコ靴と斜め賭けの大きなカバンがボーイッシュなファッションを完成させる。

清潔感はあるとしても、フェミニンな印象を持たれるのは難しい。

もう少し女性らしいヒールのあるパンプスやスカートを履けばいいが、自転車移動では、この格好が一番都合がいいのだ。

というのは建前で、つい動きやすい服装選択をしてしまう自分がいる。

元々男兄弟の真ん中のせいか、小さい頃のお下がりは当然ズボンだし、中学・高校は部活三昧で制服とジャージで事足りた。

大学デビューから、ようやくスカートが増え出して、1年でタンスの女子力は充実してきた。

大学まで全くスカートを履かなかったわけでもないのに、大学から私服になるし、何枚かまとめてスカートを購入した日には、親兄弟にやっと目覚めてくれたと、もろ手を挙げて喜ばれた。

そんなに女を捨てていたつもりはなかったので、親はさておき、失礼な兄弟はしっかりシメておいた。

そのタンスの女子力がフルパワーで発揮されていることが少ないので、今また言われたら反撃し辛い。

たとえボーイッシュだとしても、色や形だけは女性らしい選択をするなど、努力はしているつもりだ。

いつまでも悩んでいられないし、今から帰って着替えをするわけにもいかないので、よし、と気合を入れて店に入る。


< 3 / 117 >

この作品をシェア

pagetop