手の届く距離
「健太だって、健太だって私のこと好きだったわけ?」

早くその場を去りたかったのに、由香里の涙声に足を止められる。

今更そんなことを行ってくる由香里を理解できなかったし、どんな返事をしたところで彼女が新しい関係を築いていることは取り消せない。

「祥子先輩のこと好きだって知ってたけど、私なりに振り向かせたくて必死だったのに。急に、会えなくなったら健太の気持ちが全然わかんなくなったの」

踏み出しかけた足を戻して、新しい彼氏に抱かれたままの由香里を振り返る。

さっきまで彼女だと思っていた女を、他の男に抱かれている俺も、自分の腕に彼女を抱いているのに、その彼女に元彼を引き止める話をされる『宗治君』も切ない。

俺としては可愛い顔をしてキツイことを言う芯の強いところとか、悩んでたら何も言わずにそっと隣にいてくれる優しさとか、好きだった。

合宿でみんなに隠れてキスしたこととかを思い出して、楽しかったと思っていたのは俺だけだったのかと思うと泣きたくなる。

「祥子先輩関係ないだろ。付き合ってたのは俺と由香里。そいつに言ってた嘘が減るように、一発殴ったら正気になるか?」

今日のことをなかったことにできない。

最後に見るのが泣きはらした真っ赤な目の由香里というのは至極残念。

しかも、知らない男の腕に抱かれて。

「新しい彼氏の前で、俺の話なんてしてたら、そいつが嫌な思いするだろ。やめろよ」

いい思い出を、いい思い出のままに出来なかったことも含めて記憶の底に閉じ込めてやるしかない。

伝わっていなかったことを最後に伝えておく。

「俺は、由香里のこと好きだったよ。由香里はどうだったかわかんないけど」

背を向けた途端、わっと泣きじゃくる由香里の声が届く。

もう振り返らなかった。

俺の居場所は、由香里の傍にない。

どうしようもなく突きつけられた現実。

涙を拭うのも、震える肩を抱くのも、悲しむ背中をさするのも、新しい彼氏の仕事だ。

今日のために必死になってこなした昨日の課題をやらなければよかったと後悔する。

この後、何も予定がなくなってしまったのだ。

人通りの多い休みなのに、一人だった。

ちゃんと好きだった。

顔を見たら薄れ掛けていた気持ちは確かに『好き』だった。

どうしようもなく寂しくて悔しい気持ちの、どこが好きじゃなかったと言えるのだろう。

憂鬱って言葉がこれほど合う気持ちは初めてだと思った。

何度か人にぶつかりそうになりながらも、歩きながら適当にバスケ仲間に一斉送信する。

一刻も早くこの場から離れたくて、一刻も早く誰かに会いたかった。

『バスケやりてえ』

1基だけバスケットゴールが設置してある公園を指定して。

急だから誰も来ないかもしれない。

休日の昼間だと、ちびっ子がいるかもしれない。

そいつらにバスケの楽しさを教えるのもいい。

体を動かして、何も考えなくていいようにしたい。

携帯をポケットに突っ込んで、足早に駅へ向かった。

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