GOING UNDER(ゴーイングアンダー)
 おてんばだった美奈子が、その方法で琴子の部屋を訪ねることを思いつくまでに、琴子が隣りに引っ越してきてからさほどの時間はかからなかった。

 美奈子の家は、もともと人の背の高さぐらいの塀で囲んであった。2階の東の端にある美奈子の部屋の窓を出て、塀を伝って、同じく2階の西の端にある琴子の部屋のバルコニーによじ登る。防犯センサーの反応する場所があるので、そこは身を低くして避ける。
 とはいえ、琴子がおびえるので、この方法で彼女を訪ねることはめったにない。

 もしも屋根から落っこちたら、ううん、ママに見つかったら。そう言って琴子は顔色を変えた。だから、この移動方法を使うのは、きょうみたいに桜井家の玄関を通るのが億劫に思えるときだけ。

 梅宮からの電話を切ってすぐに、琴子のことが気になった。けれども、こんな時間に突然訪問する理由もない。ちょっと迷ったが、時間を確認して、少し待つことにした。内心じりじりとしながら英語の長文読解と数学のドリルをやっつけてしまい、9時をまわってから行動を起こした。

 広いバルコニーを膝立ちになって進むと、コンコン、と琴子の部屋の窓ガラスを叩く。けれども反応はない。この時間は部屋で塾の課題をこなしているはずだったが、ぴったりとした遮光カーテンを引いた部屋に明りがついているのかどうかは外からではわからない。もう一度、コンコンと窓を叩く。

 しばらくして、カーテンの一部が、そっと開いた。細くて白い琴子の指が窓の掛け金を外す。部屋の明かりはついていなかった。細く開いた窓の隙間から、音楽が漏れ聞こえてきた。姉の真由子のアルバムの1つで、頼んでMDに落としてもらったエヴァネッセンスの『フォールン』。ヘビィな調子のそのロックアルバムを、琴子は「安らぐ」音、と表現した。

 美奈子は強化ガラスの引き戸に手をかけて自分の身体の幅まで開き、琴子の部屋に滑り込むと、再び窓とカーテンを閉めた。

「琴、電気もつけないで……」

 美奈子はそう口を開きかけたが、最後まで言い終えることができなかった。琴子が身体をぶつけるようにして、美奈子にしがみついてきたからだ。

「琴? どうしたの?」

 いぶかしげな美奈子の問いかけにも応えることなく、琴子は黙って美奈子の腕にしがみついている。
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