恋するバンコク
 最寄りの船着き場まで戻ると、カップルや家族たちが船を待ちながら船着き場近くの土産物屋をひやかしたり、スマホで写真を撮ったりていた。バサン、バサンと川が桟橋に跳ねて大きな音をたてる。
「わぁ」
 おもわず大きな声をあげる。ちょうど対岸には、ワット・ポーと並んで有名な観光スポットのワット・アルンが大きくその姿を覗かせていた。暁の寺と呼ばれる細く長い仏塔のワット・アルンは、橙色のライトアップを受けて厳かに輝いている。そしてそのライトアップがチャオプラヤー川へと映り、川面は橙色の星を浮かべたように瞬いていた。

「きれい」

 おもわず笑顔でタワンを振り返る。屋台といい、夜の寺院といい、昔は知らなかったバンコクと、あらためて出会いなおしてるみたいだ。
 子どものようにはしゃぐ結に、タワンは優しい目を向けた。
「僕ね、この国が好きだよ」
 結の肩を、タワンがそっと抱く。ドキリと固まる結に気づかない様子で、微笑んだまま川向こうのワット・アルンを見つめていた。
「ホテルに来てくれた人は、みんなこの国に興味をもって来てくれた人たちでしょう。そんな人たちにバンコクのいいところを知ってもらえるこの仕事を、僕はとても好きなんだ」
 タワンの横顔を、じっと見つめた。年末が近づくにつれて忙しそうなタワンの目の下には、うっすらと青黒い隈ができている。それなのにその瞳は、この川面に映る灯りのようにキラキラと光って見えた。
「だからね、結にももっとこの国を知ってもらいたい」
 そう言って笑うタワンは笑った。自慢の宝物を披露する、子どものように無邪気な顔で。

 ツン、と胸の奥が響く。視線をワット・アルンへと移した。いつしか空は墨のように深い黒になって、そこにくっきりと橙色の塔が浮かび上がっていた。カヌーのように細長い船が一艘水面を横切る。ざばん、ざばんと波が音をたてる。
 こんなに幻想的な景色がある一方で、電車に乗れば東京以上の喧騒のあるふしぎな街。古代と現代が共存して、いくつもの顔で人々を魅了する国。

 まるでタワンみたいだ。

 膝を折ってひたむきに祈りをささげて、あたりまえのように精神的なものを信じてる一方で、スーツ姿で磨かれたロビーを迷いなく歩く。

 日本人じゃ、ないひと。

 きっと結とちがう価値観をもって、ちがうものを愛して、でもだからこそ、知らなかったことを教えてくれる。
この国を知っていくことは、この人を知っていくことなのかもしれない。
 そんなことを、考えた。
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