噎せかえる程に甘いその香りは
6*f[aidehydic]


【side 仄】




『俺の好きなのは仄だよ』



私は自分の都合のいい夢をみているの?

彼の言葉を何度反芻してみてもまるで現実とは思えなくて。

ぼんやりしているうちに彼の家に到着していた。

促されるままに家に上がりリビングに踏み込んだ瞬間ビクリと竦み、現実に引き戻された。

甘い甘いあの香り。

あの日見た香澄さんの幻影が今にも浮かび上がってくるような気がして身体が強張る。

立ち竦む私をどう捉えたのか、隣の葵さんは呑気に「あ~…」と頭を掻いて苦笑した。


「努力はしてみたけど、今の所これ以上消えないんだよな。」


いや、参った、と笑う葵さんの視線の先には消臭スプレーと置き型の消臭剤が数点。

葵さんは薄らと染みの残る壁を眺めながらぽつっと言った。


「俺にとってこの香りはいつの間にか仄の香りだったんだよな。」


私の……香り?

そっと隣の彼を伺い見れば、彼は前を見詰めたままゆっくりと続けた。


「確かに最初は香澄を思い出す香りだった。だけどいつの間にか仄の香りになってたんだ。仄が傍に居るのを実感出来る大好きな香りだった―――」


そこまで言い差した葵さんは一変して厳めしい顔で「あの日まではなっ!」と唸るように言った。


「副社長の香りだって思ったらもう不愉快だし、気持ち悪いし、腹立つし。ここ数週間家に帰ってくる度にホント何度キレそうになった事か。なんだって俺はよりにもよって副社長に包まれて生活しなきゃならないんだっって」


……それは…確かに葵さんの立場からすると色々複雑……かも。



< 66 / 70 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop