蕾の妖精たち
 翠川は大学で教員免許を得て、卒業後、数学の教師になった。

 苦学生だった翠川は、公立の高校に赴任し、ほどなく給料の良い私立の女子高に移り、実家への仕送りを始めた。

 私立の女子高では、翠川の誠実さを買われ、二年目にしてクラスを受け持った。

 高校二年生のクラスである。

 クラスの人数は三十人。
 そして、それは、そのクラス担任の初日の出来事であった。


「相川幸乃」


 翠川は、出席名簿の最初の名前を呼んだ。

 相川幸乃と再会したのは、こうして教壇に立ち、クラスの出席を取ったときだった。

 名前を読んで、顔を覚えようと相川を見た時、一瞬にして過去の記憶に引き戻され、映像が脳裏に広がった。

 喉が渇き、ヒリヒリする。


 あの忌まわしい事件の、あの時の少女。

 男に蹂躙されたしなやかな肌。

 そして、男の顔面を執拗に踏み続けた凄まじい表情。


 翠川は忘れようとしても、生暖かい淫鬱な映像と情念という激しさが頭から離れず、何としても忘れることが出来なかった。


「はい」


 その時の少女が目の前にいる。

 とても無機質な返事だった。

 魂がない。

 翠川は言葉を失ったが、生徒たちに気付かれる前に気分を取り直し、次の名前の出席を取った。

 出席を取り続けて分かったことだが、魂のない無機質な返事は、特に相川幸乃だけの事ではなかった。


 クラス担任として、そこから始めよう。

 みんなを元気にしよう。

 そんな風に、翠川は思った。


 こうして出席を取り終え、翠川の新たな教員生活が始まった。
< 12 / 41 >

この作品をシェア

pagetop