「このたびはおめでとうございます」

 会場に入ると、ウェディングプランナーの山口さんが笑顔で迎えてくれた。
「いよいよ明日ですね」
 山口さんが夏帆と悠樹に笑いかける。夏帆と同い歳くらいのこの女性は、知らない人が見たら姉弟かとおもうような組み合わせの夏帆たちを見ても、驚いた様子も見せなかった。いくつか訪ねた式場の中には、夏帆たちのことを露骨な好奇心に満ちた顔で見るスタッフも珍しくなかったから、とてもうれしかった。

 そもそも結婚式を挙げる気なんてなかった。お金も時間もない。悠樹が高校を卒業したら籍だけ入れて、それで終わりだと思っていた。

 結婚式を挙げなさい。
 そう言ってくれたのは、意外にも義母の由果だった。新年の挨拶に来た夏帆と悠樹を見て、頬に手をあてながら
「一生に一度だもんだい、ちゃんとしりんよ」
 いつも笑っているような目をさらに細めて、ふふっと笑った。
「結婚式って良いじゃんね。私も自分のときのこと、よう覚えとるもの」
 普段あまり喋るほうじゃない由果が、うれしそうにそう話した。両腕を組んで反論する隙を伺っていた橘も、由香の様子を見て不機嫌そうに口を噤んでしまった。

 結婚式?

 予想もしなかった言葉に混乱する。お茶うけに出されたクッキーの味が、乾燥剤を噛んでるようにわからなくなる。
 おずおずと隣に座る悠樹を見ると、悠樹はうれしそうに夏帆を見ていた。
「いいじゃん。俺も見たいな、夏帆のドレス姿」
 そう言って、クッキーの砂糖が残ってる指先で、夏帆の手を強く握りしめた。
 親族と数人の友人だけを招く小さな結婚式。派手じゃなくても、あたたかくて、思い出に残る一日にしたいね。 二人でそう決めた。

 だけど結婚式ってこんなに大変だと思わなかった。
 とにかく決めることが多い。引き出物、引き菓子、テーブルの花と高砂の花、もちろんドレス、料理にウェディングケーキ。テーブルに敷くナプキンの色。そんなの勝手にやってくれと言いたくなる。決めるたびに見積もりが変わっていき、何度も電卓を叩いて唸った。

 家族会議の結果、費用の半分は夏帆の貯金から、残りの半分は悠樹の両親が出すことになった。ただし出世払いで返すことという条件付きで。
 悠樹のダンスのような毎日だった。ハイスピードで進んで、時おりふっと緩んで立ち止まって、またさらに加速する。

 だけどそんな日々も、明日で終わるんだ。

 この三ヶ月で通い慣れた式場を見渡す。受付のテーブルに置かれた芳名帳を見て、胸の奥がジンと痺れる。楽しみだけど、緊張する。実感が湧くような、まだ信じられないような、ふわふわとした気もち。
 ウェルカムボードや受付のセッティングはもうしてもいいということだったので、夏帆は父と悠樹に受付周りの飾りを指示した。男二人は黙って従う。
 ウェルカムボードにバラの造花を巻きつける父の顔をそっと盗み見る。不機嫌そうにも見えるし、淡々と作業しているだけのようにも見える。
 お父さんとバラって、造花だとしても似合わない。
 わざとそんなことを考えて、胸の内側で震えて膨らんでいく寂しさをやり過ごす。

「挙式のリハーサルを行いたいんですけど、今よろしいですか?」
 山口さんの言葉に、引き出物の数を確認していた悠樹が顔を上げる。父は振り返らなかった。聞こえないふりをしてるのかもしれない。山口さんは笑顔のまま続ける。
「お父様は当日でも大丈夫ですので、お二人だけでも」
 悠樹は夏帆を見て頷く。夏帆はもう一度父を見た。
「行ってくるからね、お父さん」
 猫背の丸い背中は、やっぱりなにも言わない。ため息を喉元でくっと止めて、悠樹と共にチャペルに向かった。

 受付を出て右に曲がるとすぐにチャペルがある。チャペルの扉を開ける、ただそれだけの動作のためにいつもスタンバイしている女性スタッフが二人、微笑んで木製の重厚な扉を開けた。
 建物の中とは思えない別世界が広がる。

 むせるほどの百合の香り。磨き上げられた白いヴァージンロードを左右から包むステンドグラスは、そのまま正面の祭壇につながって輝く。気をきかせてくれたのか、祭壇の隣に置かれたパイプオルガンが甘く柔らかな旋律を奏でた。
 もう何度も見ている光景なのに、明日いよいよその場所を歩くと思うからだろうか、あっというまに視界が潤んだ。
 山口さんが微笑んで言う。
「それでは、悠樹さんは先に祭壇の前まで歩いていってください」
 悠樹は夏帆をチラッと見た後、おもむろに歩き始めた。父の白いシャツとジーンズ姿でヴァージンロードを歩く姿はその場にそぐわなくて、なんだかおままごとみたいだ。

「それでは、夏帆さん行きましょう」
 私がお父様役を務めますね、と山口さんが笑う。背丈も同じくらいの女性と、腕を組みながらゆっくりと歩く。右足を一歩前に出したら、左足を同じ場所まで進める。両足がそろったところで今度は左足を一歩前に出す。今度は右足を同じ場所でそろえる。歩きづらくて全然慣れない。

 お父さん本番大丈夫かな。
 微笑みながら説明してくれる山口さんの姿が、黙々と花を飾る父に代わる。ぼうっと考えていたら、あっという間に祭壇の前に着いてしまった。
 悠樹が腕を後ろで組んで待っていた。どこか所在無げで、廊下に立たされている生徒みたい。おもわず笑ってしまった。
「それでは、ここでお父様と悠樹さんの腕が代わります」
 山口さんが説明しながら夏帆の手を取った。
「悠樹さん、こちらに来てください」
 今度は悠樹の正面に立った。ほんの少し離れていただけなのに、ほっとしたように思うのはやっぱり少し緊張していたからだろうか。
 悠樹と向かい合う。ステンドグラスが悠樹の肩越しに輝いている。パイプオルガンの音と、百合の香り。

 あぁ、結婚するんだな。

 実感に胸が詰まる。人のいない参列者用の席を見て、明日そこに座るひとたちの姿をおもった。ミドリは一眼レフを持ってくると張り切っていた。お母さんは慣れない着物がちょっと心配そうだった。お父さんは。

 お父さん、大丈夫かな。

 振り返らなかった父の背中を思い出して、夏帆はそっと息を吐いた。

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