ダンッ。

大きな音がして、悠樹が居間のテーブルに倒れこんだ。テーブルの脚が大きくずれ、カーペットが引きつる。ガラスコップのお茶がひっくり返った。テーブルにできた大きな水たまりが、カーペットに流れていく。

「悠樹!」

 夏帆は悠樹のもとに跪いた。片腕で目元を覆っていて、表情は見えない。口の端がわずかに切れていた。血の滲む唇を見て、目の前が赤く染まる。

「なにするのよ」
 叫んで振り返ると、父の顔は真っ青だった。こんな表情は見たことがない。父の人生で人を殴ったのはこれがはじめてだろう。唇まで青くなって、震えている。その姿を見て、膨れ上がった怒りがバケツの水を浴びたように一瞬で冷えた。代わりに不安が胸に広がる。

 どうしよう。こんなふうになりたくて来たわけじゃないのに。

 母は無言で台所から布巾を持ってくるとテーブルを拭いた。のろのろと起き上がる悠樹には目もくれない。
 悠樹が顔を上げる。怒ってはなかった。もとより覚悟していたという顔。いつもの切れ長の目が、居間の明かりを受けてぼんやりと光っている。
 父は悠樹を見下ろしたまま呟いた。

「二度と来るな」

 そう言い捨てて居間を出て行く。夏帆は震える手で悠樹の肩を抱いて起こした。
「だいじょうぶ?」

 夏帆ちょっとそこどいて。母が無表情に夏帆を脇に押しやる。カーペットを拭く手はいつもより乱暴だった。
 悠樹は薄く微笑んで、
「全然大丈夫」
 と言った。その笑顔を見て、くしゃりと唇が歪む。涙がこぼれた。ごめんね、とくり返す。

 紹介したい人がいる、という言葉に父は眉間にシワを寄せ、母は色めきたった。どんなひと、仕事はなにしてるの、いくつなの。母の質問攻撃をはぐらかして迎えた今日の対面は、五分もなかった。

「お母さん」

 すがるように母を見る。母は石像のように無表情のまま夏帆を見て、そのまま視線を悠樹にずらした。母のため息が、静まり返った居間に深く落ちていく。
「お父さんの言うとおりね。お付き合いだって反対なのに、ましてや結婚なんて。許せるわけないでしょ」

 いつも明るい母のこんなに固い声、聞いたことがなかった。救急箱の場所も教えず、母はお盆に茶碗を並べるとさっさと台所に消えた。
 震える掌を握りしめた。

 やっぱり無理だ、結婚なんて。

 涙で視界がぼやける。予想できた結果だったけど、いざそうなると失望感で体が潰れそうに重い。

 ふっと冷たい手が頬にあたる。悠樹だった。悠樹はそっと笑って言った。
「ね、ほんと大丈夫だって。最初から認められるなんておもってなかったし。全然平気」
 ニッと笑うと、切れた唇が痛いのか顔をしかめた。それでも無理に笑おうとする悠樹を見て、唇をかみしめる。

 強くならなくちゃ。

 想いがこみあげる。
 頬にあたる悠樹の手はとても冷たくて、指先がわずかに震えていた。

 悠樹だって恐いんだ。私は十歳も年上なのに。こんなんじゃいけない。

 手を強く握り返すと、悠樹がじっと夏帆を見つめた。そのあと、夏帆の手に指を絡める。二人の手はどちらも冷たかった。だけどこうやってつなぎあっていればきっと、そのうち温もりが宿る。

 このひとを守る。

 そう心に誓って、つないだ手に力をこめた。

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