アブラカタブラ!
(一)朝
枕元でジージーと音がする。
ゼンマイ仕掛けの電車が、部屋の中を走り回っている。
そうだった、今日は子どもを連れてのお出かけの日だ。

 十日ほど前か、
「子どもを連れて動物園にでも行ってくる。お前は一日のんびりしてるといい」
 と、妻に大見得を切ってしまった。

正直のところは、残業続きの現状では休息をとりたい。
「当てになんかしてませんよ」
 頭を下げれば、きっと返ってくるであろう妻の言葉が、ぐるぐると頭の中を走り回り、耳の中ではそれこそジージーと回っている。

「さあ、ボクちゃん。バイバイのチュウをママとしましょうね」

 嬉々として、母親の元に駆け寄る息子だ。
と、赤児の娘が泣き出した。
母親を兄に獲られてしまうことに対する嫉妬心なのか、火が点いたように泣いている。

母親の前で立ち止まった息子、どうしたものかと思案でもしているのだろうか。
母親と娘の姫を交互に見やっている。
まだ三歳児なのに、なんとも健気な息子だ。

「いいのよ、ボクちゃん。いらっしゃい」
母親の優しい声に、うん! と大きく返事をして、嬉しそうに母親のひざに飛び乗った。
「いいこと。動物園では、走り回ったらだめよ。はい、では行ってらっしゃい」

 軽く唇を触れながら、チラリと妻がわたしを見た気がした。
わたしといえば、そんな二人を正視することができず、泣き叫ぶ姫をあやしにかかった。
しかし、よしよしと声をかけるだけで、何をすることもできはしなかった。

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