Fly*Flying*MoonLight

AM10:20 社長室

「……遅い。何をぐずぐずしていた」
 奥のご立派な机を前に座っている悪魔は、やたらと不機嫌だった。
「……私にも自分の仕事がありますので」
 私は伏せ目がちに答えた。
「社長の俺の呼び出しよりも大事か?」
「はい」
 くるりと椅子を回して、社長が立ち上がる。こつこつと音を立てて、近寄って来るのが判る。
「こっち見ろよ」
 私はしぶしぶ顔を上げた。やたらと背が高い。鋭い目。端正な顔立ち。女性社員がきゃーきゃー悲鳴を上げてるのも頷ける。
(……恋人がいなかった時期なんてないし……)
「……相変わらずおさげ髪か」
「この髪型、気に入ってますので」
 ウェスト近くまである髪は、二つのおさげに編んで、後ろで一つにまとめていた。
 髪を切る訳にもいかないし、まとめるにはこれが一番いい。

「……楓」
 低い声が私の心に響いた。
「……なんでしょう、社長」
 姿勢を変えない私に、社長は苛立ったような瞳を向けた。
「……俺の名前、忘れたのか」
「いいえ」
「だったら、名前で呼べよ」
 ……嫌々ながらも、小声で言う。
「高橋さん」
「下の名前」
「……っ、和也……さん」
 つっかえつっかえ、名前を呼ぶと、社長がにやり、と笑った。
 肉食獣の笑み。背筋がぞわっとした。

「そう、それでいい。二度と社長とか呼ぶな」
「会社でそのような呼び方は、誤解を生みます」
「別に俺は気にしない」
「私は気にします」
 しばらく、私と社長は、無言のまま睨み合った。
 やがて、ふうとため息をついた社長が両手をあげた。
「……わかった。その代わり、社外では名前だぞ」
「はい」
「……ったく、お前ぐらいだぞ。そんなに俺といるのが嫌そうな女は」
「だって、嫌、ですし」
 思わず本音を言ってしまった私を見る目が、妖しく光った。

「へえ……嫌、ねえ……」
 のしかかるように、社長の身体が迫って来る。一歩後ろに下がる。
「……俺の記憶だと、お前から進んで『俺に従属する』って言ったんだよな?」
「す、進んでなんて、言ってませんっ!!」
「従属するってことは……だ……」
 大きな手が私のほほを撫ぜる。思わず身体がすくむ。
「お前、俺の奴隷になったんだよな?」
「ち、違いますっ!! 何度言ったらわかるんですかっ!!」
「あああ、もうぉぉぉっ!!」
 思わず私は大声で叫んだ。

「こんな悪魔に、魔法見られたのが、一世一代の不覚だったわっ!!」
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