多股女の嬌笑
【1人目】---内密関係

1、





「ほ、本日付けで入社致しました、尾川美緒です。宜しくお、お願いします。」

今までに表彰やスピーチなど、人前で立って何かを話す機会があまりにも無かった私にとって、たとえ十数人でも自分に注目されることに緊張せざるを得なかった。
鏡を見なくても顔が紅潮しているのがわかる。
全身の皮膚から湯気が出ている感覚がある。
声も上擦っている上に、口角もひくひくと振動していた。
そんなゆで蛸状態の私に助け船を出してくれたのは、自分の左肩すぐ後ろで見守ってくれていた人だった。


「挨拶程度に緊張しなくていいのよ。うちは社員みんなフレンドリーだから、気楽でいいからね。私は貴女の直属の上司になります、深見です。直属といっても仕事上社長同行であまり事務所に居ないことが多いから、みっちり教えてあげられるのは最初の数日間かしらねぇ。」


深見千夏さん。
通信販売事業であるこの会社の秘書および経理事務職に就いている。
確か、入社前の手続きの際に手渡された社員名簿では、年齢は…40前後だったような…あまり詮索はしてはいけないと思うが…。
年齢にしてはシワひとつ見受けられなく肌も白くハリもあって、恐らくハイブランドのスキンケアをライン使いしているのだろうという努力の賜物が手に取るようにわかる。
元CAだったためか、髪型も化粧も身なりも全てその面影がわかる程、一切の抜かりなく、更に欲しい所たけ豊満という羨ましいボディの容姿恰好である。
既婚者がどうかは未だわからないが、「母親」というオーラよりかは「愛人」というような色気ムンムンのお姉様という印象だった。


「じゃあ、簡単に社員を紹介していくわね。詳しくは本人に聞くなり名簿を見るなりして覚えてね。じゃあ組織図順に…部長の宇高部長。」



「どうも。」


ハリウッド映画で鍛えた上半身をさらけ出しても絵になる俳優のようながっちりした体型。スーツの上からでもそれは確認出来る。
昔は水泳かラグビーかしていたのだろうかと思わせる。
紺色のシワひとつないスーツを着こなし、ベリーショートで、おしゃれな黒縁メガネで仕上げている宇高部長は、いかにも体育会系な一礼挨拶だった。


「ほんと宇高は素っ気ないわねぇ。まぁいいわ。次は制作部の…左から栗原さん・古賀くん・堀口さん。うちで尾川さんと年が近いのは相川さんかしらね。」



「よろしくおねがいしますぅ。」
「っす。」
「よろしくお願いしますねー。」


その年が近いという栗原さんは、ミルクティー色のショートヘアに瞳が大きく感じられるカラコンに、真っ白のニットワンピースを着た、言うなれば、頭の先からつま先まで「男受けの良いギャル」というような容姿だった。
その隣の古賀さんは前髪も伸びっぱなしで、栗原さんより長めの髪を無造作に一つにしばっている。キャピキャピとした女子高生にも劣らない栗原さんとは対照的に頭にキノコでも生えていそう
な暗いオーラを放つ古賀さんと見比べながら、果たして仕事はうまくいっているのだろうかと疑問を抱いた。


「よかったねぇ古賀ぁ。あんたの好きそうな女の子なんじゃなぁい~?」
「…ぅっさい。」


冗談でも肘で脇腹をぐいぐい押されて、ひるみながらも古賀さんは栗原さんを静かに睨んでいた。


「また痴話ゲンカはよしなさいよ、まったく。それでね尾川さん、制作部の後ろにいる10名ほどは全員営業マンなんだけどね。もう営業に出る時間だから、また今度紹介するわね。…といっても尾川さんと営業マンの勤務時間だと互いにすれ違いだから、ほぼ事務所に居るのは制作部と部長と私くらいね。」


「俺たちも自己紹介したーい」と子供のような野次を、深見さんは右手で軽くあしらいながら、私をデスクに案内した。


会社の広さは、マンションの一部屋の30㎡程で、部屋の仕切り壁を全部なくしたような感じの為、一日中事務所に居るのが5,6人ならば丁度良い広さだった。
デスクの配置は、横一列で向い合せにデクスが置かれており、そのデクスの右奥に学校の教室でいう、生徒たちと向い合せの担任の席が今のいう宇高部長の席である。


「さて、今日はすぐに難しいこと…は置、い、と、い、て…一日の流れ作業から教えるからメモとって覚えてね」


「は、はい!」


朝出勤の9時からお昼休憩の12時まではみっちりパソコンによるデータ作業の指導だった。
しかし、さすがと言うべきか、深見さんの指導はとてもテキパキとわかりやすかった。
丁寧に順序良く教えてくれるし、時折質問時間なども設けてもらいながら、復習も入れて予定通り12時前に終了した。
たった一回の指導で、自分が忘れない限り明日からは一人で出来ると自信を持てるほどだった。
深見さんのような方が全国のアルバイトや仕事の指導者なら、どんなに良い人材が増える事だろうと、ふと思えた。


さすがに深見さんも3時間みっちり指導は疲れたのだろう。
少し首をならして、腕時計で時刻を確認した。


「もうすぐお昼ね。尾川さんは今日はお昼ご飯は持参しているのかしら?」

「い、いえ。迷ったんですが、今日はどこかで済ませようかと思っています。」

「あら、そうなの。ここのオフィスビルは社員食堂がないから、みんな外で食べるか、コンビ二かどこかでテイクアウトして各々のデスクで食べてるのよ。初めては不安だろうからお昼ご一緒しようかと思ってたんだけど…ちょっと急に今から社長の同行につかなくちゃいけなくってね…どうしようかしらね…。」


右足を前にかけて左手は腰にあてて、右手は顎にのせるという、なんともモデルポーズのような考える格好に見とれてしまってはいたが、


「あ、いえいえっ!全然大丈夫ですよっ!自分は適当に済ませますのでっ。」


今日会社に来る前に、徒歩で通勤しながら、大体のコンビニやカフェの場所はうっすら記憶にある。
会社自体、オフィス街の一角にある為、どこかしらお店はある。
自分から好んで、ではないが、一人でお店に入ることに昔から抵抗はなかった。



「あ、じゃあぁ、ナナセといっしょにたべますぅ?」

会話をかっさらっていった甘い声の持ち主は、お昼に旅立とうとしてデスクの上にピンクのスクエアバッグを置きその上でスマホをいじっている気怠そうな栗原さんだった。


「あらそう?じゃあお願いしてもいいかしら。栗原さん、初日なんだからイジメたら承知しないわよ。」

「ナナセはいつからイジメっ子になったんですかぁ?もうプンプンです。」


"ナナセ"…はおそらく栗原さんの下の名前だろう…。
会話が成り立っているのか心配なほど、教師と女子校生のような光景だった。


「尾川さん、私はもう行くわね。午後の仕事はさっき伝えたことをして頂戴。退社時刻までに間に合わなかった場合は、明日に持ち越しで、今日中に終わった場合は復習しながらゆっくりしておいて頂戴。じゃ、宜しくね。」

「あっ…はい!有難うございました!」


深見さんは右肩でスマホを耳に当てながら、颯爽と出て行った。
なんともCAを通り越して、歌劇団の男優をしていそうな格好の良さだった。



「ねぇ、ミオちん。なにたべたぁいぃ?」

(ミ、ミオちん…)


生まれて初めて呼ばれた愛称に内心驚きを隠せないものの、159㎝である私より少し身長の低い栗原さんの上目使いには更に驚きを隠せないでいた。


「な…なんでも…。栗原さんの気分に合わせますよ…」
 
「そぉお?そぉだなぁ。うぅむ。きのうはパフェだったんだよねぇ。その前はケーキセットだったかなぁ」

「え?パフェ…ですか…?」


自分が質問に『ランチ』と入れてなかった為に誤解されてしまったのだろうかと心配になった。
だがその心配を打ち消したのは低く通る大剣のような宇高部長の声だった。



「そいつ偏食で甘いもんしか食わねぇから、任せるとロクな事になんねぇぞ。」



午後から来客の為に一足先に昼食をとっていた宇高部長がスマホと財布だけを片手に事務所に戻ってきた。
背広を椅子後ろのハンガーに吊るし、大きく息を吐きながらドカッと椅子に腰かけた。


「もぉお、ぶちょお!甘いもの"しか"じゃないですよぉ!他も食べますよぉ!」

「うっせ。餓鬼みたいに好き嫌い多いくせに。黙って生野菜でもかじっとけよ。」

「ナナセが野菜ムリなこと知ってるくせにぃ!ぷん!ひどいよねぇミオちん!」


味方に引き寄せようと、ぎゅっと右腕を捕まえられたが、正直置いてけぼりな私はハハハと明らかな苦笑を見せざるを得なかった。


「ミオちんお昼いこぉ!パスタにしよぉパスタぁ!」

そのまま右腕をぐいぐい引っ張られながら合わない歩幅に足をばたつかせながら、栗原さんについていった。


「…お、お昼い、行ってきます…」


恐る恐る小声で会釈をすると、ノートパソコンを起動しながら一度もこっちを見ずに、


「……いってら」


と素っ気ない返事と共にドアをしめた。




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エレベーターの中で一階のボタンをカチカチ何度も押しながら栗原さんは頬を膨らませていた。



「ひどいよねぇぶちょお!いっつもナナセをいじめるんだよぉ!」

「そ、そうなんですね…」


栗原さんはそう言いつつも、なんだか嬉しそうに感じたのは私の気のせいなのだろうか。


おそらく社内恋愛とかの妄想話が好きなんだろうな…と思いつつ、迂闊に話をふると、長くなりそうな気がして違う話題を切り出そうと考えていた。





心の片隅で、栗原さんに少し羨望を抱きながら…――。




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