有害なる独身貴族
1.名前で呼ぶの、やめてくれませんか

 オフィス街の駅にほど近いビルの一角。
そこに、白壁に黒枠の窓で飾られた、異国のカフェのようなおしゃれな外観の店がある。

とは言え、同じ並びの他の店から浮いてしまう程でもない。
ちょっと目を引く程度の存在感で、ビジネス街に溶けこんでいる。


看板には【U TA GE】。


その時点で、ん? と人は思うだろう。
これって宴って読むの? って。
私も最初はそう思ったもん。

そして扉を開けて漂う香りに、違和感を感じたことが正しいことを知る。

外見は洋食屋さん、実際は鍋専門店。これが【U TA GE】という店だ。


店長とある程度話せるようになってから、「店名、店長が考えたんですか?」ときいてみたら、彼は『ギャップ萌えするだろ?』と言ってニヤリと笑った。
どうも使い方が間違えている気がしないでもない。


「おはようございまーす」


午後四時。本日遅番の私こと房野(ふさの)つぐみは、【U TA GE】に裏口から入る。
夕方なのにおはようの挨拶はいつまでたっても違和感があるけれど、お店というものはどこもそういうものらしい。

 中に入ると、漂うのは野菜を煮込んだ風味ある香り。

今日のランチメニューは鶏の和風鍋だったかなぁ。
私もこれ好きなんだよねーヘルシーで。

パブロフの犬よろしく、匂いを嗅いだだけで唾が沸き上がってくる。
昼食、遅めにとったのに、食欲を刺激されちゃうよ。

ただ、こういう香りは昔懐かしい感じがする。
おばあちゃんの曲がった腰を思い出して一瞬ドキッとする。

考えを振り払うように首を振った。
思い出しても仕方ないことは思い出さない。
暗くなったって何もいいこと無いよ。

両手で口角を無理矢理持ち上げる。

笑顔が笑顔を呼びこむのだ。
接客の基本を忘れちゃいけない。

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