ざっと見回した小さな店内のテーブル席は全て埋まっていた。雑然とした空気に一気に眩暈が加速したように感じる。
彼女は何とか辿り着いたカウンター席にどさっと倒れ込んだ。
「おっと!」――勢い余ってカウンター・スツールから転げ落ちそうになる彼女にすっと伸ばされた腕。隣の席に座る男だ。
「大丈夫かい?」
その男の声が直ぐ傍で耳に入った。大丈夫?と声を掛けてくれたのは今日これで何人目かしら。
「……せて…」
「何だって?」
「……にか…食べさせて…」
「!?」
「……」
再びカウンターにどさっと伏せたまま動かない彼女を訝しげに見つめていた男は、やれやれ、といった顔で彼女から視線を上げ、カウンターの中へと向き直った。
「Yo Tom , こちらのお嬢さん、餓死する寸前みたいだけど。急いで何か作ってやったら」
「そりゃ大変だ。待ってな、お嬢さん」

彼女は自分で自分の口から吐いて出た言葉に驚いていた。そう言えばお昼も食べずに歩き続けていたんだった。
口にしたものと言えばポールの淹れてくれたカプチーノだけ。セントラル・パークからベティのサロンまで20分以上歩き、サロンからここまではその倍以上歩いている。
オープンキッチンから漂う美味しそうな匂いに漸く彼女は空腹で目が回りそうだったのだと知った。いい匂いに誘われるように顔を上げると、隣で身体を支えてくれたその男と目が合った。
「…大丈夫?」
再び訝しげに大丈夫?と声をかけられ、途端に気恥ずかしくなってラムカは俯いた。
「…ええ。 助かったわ。ありがとう」
「飲むかい?きっと落ち着く」
男は返事をする代わりのように、手にしていたワイングラスをすっと滑らせるように彼女の目の前に差し出した。
怪訝な顔をする彼女にその男は、いいから飲んで、と再びそれを促す仕種を見せた。
昼間からワインなんて、そう思いながらも、何故だかその男には抗えないものを感じる。気付けば彼女は勧められるままにそのグラスを手にし、赤い液体を口に含んでいた。
グラスの縁から鼻に抜ける、少しつんとしたアルコール臭を含む芳香と、飲み込んだ後からふわっと口内と鼻腔に広がる、格段に深くて好ましい芳醇な香り。
「美味しい!」
思わず彼女は相好を崩して隣の男を見上げた。そのたったひと口が身体中に沁み渡るような気さえする。
口許を手で覆うようにしてカウンターに肩肘を付き、その様子を見守っていた男が満足そうに、そうだろ?、という表情を見せた。
もっと飲んで、という仕種をした後で、男は突然、はっと何かを思い出したように唖然とした顔で、ゆっくりと彼女の顔を見つめ返した。
「なに?」
「…まさか、な…」
「?」
ふっと笑って小さく首を横に振る男に向い、今度は彼女が訝しげな視線を向けた。
男は立ち上がると、ジーンズのポケットから紙幣を出してカウンターの上に置いた。
「…ゆっくりしていくといい…… " シェリー "」
「―――!?」
「じゃ。 ――― トム、またな」
「もう行くのか?ショーン」
ゆっくりしていけよ―― そう言いたげな顔で見送るトムに片手を上げ、男は、驚いた顔で瞳を見開いたままのラムカを振り返りながら店の扉を押して出て行った。