心の中を開く鍵
*****



あの後、猛ダッシュで電車に飛び乗った私を、彼はさすがに追っては来なかった。

当たり前だよね。追っかけられたら何事かと思うよ。

だけど、いろいろグルグル考えているうちに頭だけ覚醒してしまっていて、夜中過ぎにやっと眠りに落ちたと思ったら、いつも家を出るはずの10分前という時間に起きて大慌した。

とりあえず、ほとんど眠れなかったなぁ。

重い足取りで出社して秘書課のドアを開けると、葛西主任がフロアの中央で書類を睨んでいるを見つけて溜め息をつく。

「おはようございます」

「おはようございます。山根さん」

眼鏡を人指し指で直して、葛西主任は眉を上げた。

「珍しいですね。山根さんが髪を下ろしているのは」

「今朝は寝坊したんです」

葛西主任は無言で、まだ他に誰も出社していない秘書課を見まわす。

「……意味を伺っても?」

「タクシーの中で化粧もして、いつも通りの時間帯に間に合いましたと言い訳します」

日課なのよ。まだ誰もいない時間帯に来て、デスク回りを掃除するの。

どこか納得したような主任に背を向け、デスクにバックを置いて、引き出しからヘアゴムを取り出した。

手早く三つ編みにしてまとめると、書類を眺めている主任に近づく。

「予定表ですか?」

「はい。少々変更がありまして、どなたに……」

言いかけて、主任は私をまじまじと眺める。

「山根さんは高野商材の高崎さんとは懇意にされているんですよね?」

え。懇意にはしていませんが。
誰からそのような噂が流れましたか。

疑問が表情に現れていたのか、主任は微かに微笑んだ。

「羽賀部長から伺いました。新規プロジェクトを立ち上げるとの事で、なおかつ、こちらから一人出せと命令されました」

「……珍しく怒ってますね」

誰に対しても丁寧な言葉づかいの主任が“命令されました”とか言ってる。

「遠慮がないのは昔からですが、デート中に乱入されました」

これは……冷静にのろけられた?

「いつになく私的ですね、主任」

「僕はいつも私的ですよ。私生活あってこその仕事ですから」

プライベートが充実してるのはいい事だよなね。

「では、話の流れついでにお願いがあります」

葛西主任の端正な顔をじっと無言で見つめ、それから両手を合わせる。

「高野商材絡みの一人出せなら、辞退させてくださいー」

葛西主任は目を丸くした。
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