好きだと言ってほしいから
【番外】 逢坂さんの激情
 今朝、俺の統括グループへの異動について、正式な辞令が下りた。

 その日の夕方、お世話になったクライアントへの挨拶を済ませた俺が会社に戻ってくると、社員通用口の近くで意外な人物が俺を待っていた。麻衣の大学時代のゼミ仲間だとかいう男だ。確か名前は平岡。

 彼とは数回顔を合わせたことがある。以前、麻衣と一緒にジムでトレーニングをしていたときに会ったのも彼だった。彼は東京の会社に勤めていたはず。転勤でこっちに戻るとは聞いていたが、もう戻ってきたのだろうか?

「逢坂さん」

 俺が彼の方へと近づきながら訝しそうに眉根を寄せると、彼は笑って軽く右手をあげた。

「こんにちは、平岡くん。どうしたの、こんなところで?」

 部外者の君がどうしてこんなところにいるんだ?と言わんばかりに、俺は日栄の自社ビルをぐるりと見回した。だが、彼はそんなことは全く問題にしていなかった。当然だろう、彼がこんなところに立っていて、俺を呼び止めたからには、俺に用事があると考えるのが普通だから。そしてその内容が彼女に関することだと予測するのも容易だ。

 案の定、彼が言った。

「今、麻衣を車で待たせてるんです」

 分かっていたくせに、実際に聞いたその言葉に、俺の全身が敏感に反応した。鋭く息を吸い込み歯を食いしばる。

 麻衣。俺が唯一大切にしていた彼女。滑らかな栗色の長い髪と丸い大きな瞳。どこか幼い雰囲気を漂わせている彼女はつい最近までは、確かに俺の腕の中にいた。
 だけど俺は彼女の手を離した。日本を離れる俺に、あっさりと別れを選んだ彼女を、繋ぎとめる術がなかった。
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